古本買い入れのちカエル直後に台風

朝8時半に起きて、残りご飯に豆腐をかけて食う。土曜日に話し合ったアクセスの東京本のリストをまとめる。オンライン書店で、書名や在庫の有無を調べる。まだあるだろうと思った本が意外と品切れだということは、よくある。だから、新刊書店で何かテーマ性を持ったフェアをやるのは、タイヘンなのだ。それにしても、サイトによって定価の表示が本体価格、税込価格とまちまちなのは、リストをつくるのにものすごく困る。bk1は両方表示しているが、アマゾンは税込価格だけだ。出版社のサイトも、税込だけのトコロが増えてきた。世の中の流れがそうなるのなら仕方ないけど、消費税導入以来、広告でも記事でも、ずっと本体価格表示できたのだから、あとでこの10年ぐらいの本の定価動向をまとめるときに、きっと混乱すると思うぞ。


12時に出て、渋谷へ。ハチ公前でセドロー牛イチローと待ち合わせ。もっともこの場所に似合わない三人組だ。東急文化村の裏を通って、松涛のお屋敷街を歩き、山手通りを越えたトコロにある工作舎へ。かなり大きな一戸建てである。工作舎はココで28年活動してきたそうだが、今度、月島に移ることになった。それで、不要な本を処分したいと編集のIさんからぼくに相談があり、セドロー牛イチローを紹介したのだ。


では、ナゼ古本屋ではないぼくが同行したのか? それは、ヒトから「古本屋さんを紹介してくれ」と頼まれると、以下のような条件を付けているからだ。

1)スケジュールが合うなら、南陀楼も買い入れ(引き取り)の現場に立ち合わせてもらう。そして、あとで、書ける範囲で、日記あるいは原稿のネタにさせていただく。
2)古本屋さんに先んじて、南陀楼が欲しい本を一冊だけ、無料で頂戴する。記念品みたいなものなので、高額なものは戴きません。


というワケで、同行したのであった。まず、Iさんに中を案内してもらう。造りの大きな建物なので、階段の脇に大きな本棚を設置してある。そこにかなりの冊数が入っていたようだ。2階から屋上に抜ける通路の脇にも、かなり高い位置まで本棚があった。引越し中とあって、ほうぼうに段ボール箱が積み上げてあった(雑誌『遊』関係の資料もあった)が、奥の部屋では、社員の皆さんがまだ仕事中である。


ナニはともあれ、条件2にあるぼくの取り分を確保させてもらう。積みあがった本をざっと眺める。セドローイチローがスグにでも縛りにかかろうと待っているので、ゆっくり見るワケにはいかない。Iさんが「何冊でもいいですよ」とおっしゃるので、まず5冊抜き出したが、あとで本を運んでいるときに一冊見つけ、縛ってあるヒモから本を抜き出してしまう。イチローくんにその現場を見つかり、「あー、やっぱりやってますね」とからかわれる。戴いた本は以下です。
矢川澄子『風通しよいように…』(新宿書房
平野威馬雄『銀座物語 街角のうた』日本コンサルタントグループ
種村季弘池内紀編『温泉百話』東の旅・西の旅(ちくま文庫
種村季弘『一角獣物語』大和書房
◎矢代梓『フユトン・クリティク 書物批判への断片』北宋社
小野耕世ほか監修『マッド傑作選2』TBSブリタニカ


『温泉百話』『一角獣物語』はいつか買おうと思いながら、機会がなかった本。矢川澄子にこんなエッセイ集があるなんて知らなかった。『フユトン・クリティク』なんて本は、ぼくの趣味からはもっとも遠いのだが、著者の矢代梓は、中央公論社の編集者であった笠井雅洋氏のペンネーム。ちなみに、弟は作家の笠井潔だ。笠井さんは、旬公が下宿した家の大家さんだった。その縁で、順天堂病院に入院されていた笠井さんをお見舞いしたコトがある。その後、しばらくして亡くなられたのだが。


ほかにも、洋書や雑誌のバックナンバーが多くあったが、いちいち見るのはタイヘンなので、諦める。二人は本を縛りはじめ、ぼくはそれらを二階から玄関まで下ろす。しかし、昨日までやや涼しかったのに、今日は本格的に暑い日で、室内にはクーラーが入っていたが、それでも汗が吹き出る。10往復したぐらいでヘトヘト。階段にあった椅子を持ち出して、屋上で休む。セッセと働いているセドローくんの目が怖い……。自動販売機にお茶を買いに行き、そのあとも少し運んだが、やはりシロウトが中途半端に手を出さないほうがイイと判断し、先に撤退するコトに。Iさんから、工作舎が制作した『季刊ソフトマシーン』創刊号(1979年9月)をいただく。B4判・16ページというデカイもので、荒俣宏らが寄稿。トーキング・ヘッズのインタビュー(ものすごく短い)も。ビジュアルな文化情報誌という感じだが、書店で販売したんだろうか? デザインに羽良多平吉が参加している。


駒場東大のキャンパスを抜けると近い、と教えてもらったが、どこの門から入るのか判らず、けっきょく駒場公園のほうからグルっと回ってしまった。この辺りは以前、仕事で近代文学館に行くために、よく通っている。駅前のそば屋で、カツ丼を食べる。ココは食券制なのだが、あとから入ってきたおじさんが食券を買わずに、「生ビール」と注文。そのあと、財布から500円玉を出して、テーブルの上に置いた。そのあともナンかごそごそやってるので、500円じゃ足りないのかなと思ったら、さっき置いた500円玉を財布に引っ込めてしまった。そして、ちょっとしてから、店の姉さんに「さっき500円支払いましたっけ?」と訊く。「まだです」と返されると、ふたたび財布から500円を出して、テーブルに置いた。せ、せこい。アレでごまかせるつもりだったんだろうか?


DMを置きに何ヶ所か回るツモリだったが、疲れてとてもムリ。渋谷から山手線でまっすぐ帰宅する。人形写真家の石塚公昭さん(http://www.kimiaki.net/)から『乱歩 夜の夢こそまこと』(パロル舎)2000円を贈られる。実在の人物の人形をつくり、それを街や建物に置いて撮影するという手法で、数々の作品をつくってきたヒト。ぼくも『本とコンピュータ』で一度仕事をお願いしたコトがある。今回は乱歩の作品ひとつごとにふさわしい場所を選び、そこで撮影している。旧乱歩邸や神保町の喫茶〈エリカ〉も舞台に使われている。「D坂の殺人事件」の〈三人書房〉も再現されていた。あと、『エルマガジン』9月号も到着。「京阪神本棚通信」で『チェコマッチラベル』が紹介されている。山本善行さんの「天声善語」は講談社文芸文庫について。


1時間ほど眠る。ネットのニュースを見ると、杉浦日向子さんが亡くなったとのこと。46歳。杉浦さんのマンガはどれもヨカッタが、近年では『とんでもねえ野郎』(ちくま文庫)が好きだったな。江戸や明治の東京をきっちり学んだからこその、でたらめさ、アナーキーさが爆発していた。昨年だったか、「本コ」でエッセイをお願いしたいと思い、お手紙を差し上げたコトがあるが、ご家族の方が出られて「病気で療養しています」と答えられた。あの頃、すでに闘病中だったのか。


自転車で出かける。BOOKMANの会の会場は、春日の〈寿和苑〉だが、ウチからココに行くには、どこかの駅で丸の内線に乗り換えて、茗荷谷に出て、そこから15分近く歩かねばならない。それが面倒で、自転車で行ってみることにしたのだ。この時点で、台風が近づいていたコトは知っていたが、曇っていても降りそうではないし、まあ大丈夫だろうと思っていた(あとからすれば大間違いだったが)。千駄木から団子坂を上がり、白山に出て、そこから白山通りへ。富坂を登り、まっすぐ行けば到着。直線距離にしたら大したことはないが、坂が多いので、ちょっと疲れる。それでも30分かからずに到着した。


〈寿和苑〉に着くと、今日の幹事である濱田研吾くんと、ゲストのさえきあすかさん、田端ヒロアキくんがいた。他のメンバーは、セドロー牛イチロー、野口、藤田、エンテツ、柳瀬、大橋、畠中。前回の例会のとき、予約してあったのに〈寿和苑〉が閉まっていて使えなかった。そのお詫びということで、ビールに漬物、おしぼりが用意されており、ワインも出た。なんか、かえって申し訳ない。今日のテーマは、コルゲンコーワのカエルのキャラクターの変遷を追ったもの。いつ、ナニがきっかけで誕生したかから、人形がどう変わって行ったかなどを、判りやすく説明する。濱田・さえきが持ってきた、レアもののカエル人形の現物も続々登場(濱田くんが5万円で買ったという、偽物説のある陶器のカエルも)。テーブルの上は、ビールとカエルでなんだかよくワカラナイことになった。みんなもアレコレ知ってることを話して、オモシロかった。


終わった頃に、すごい勢いで大雨が降り出す。コレは自転車どころじゃないぞ。管理人さんに頼んで、野口さんとぼくの自転車をガレージに入れさせてもらう。傘も借りてしまって、大通りまで出てタクシーを拾い、分乗して〈さくら水産〉へ。いつものごとく、ハナシはあっちに行ったりこっちに行ったり。11時半に外に出たら、少し小降りになっていた。池袋に出て、田端くんと山手線で帰る。ウチに着いたら、すぐ布団を敷いて眠った。