別居しました

内澤旬子南陀楼綾繁は、このたび別居しました。……遅ればせのエイプリルフールではなく、ホントです。事情により、別れて住むことになったのです。


とはいえ、旬公のブログを読んでいればすぐ見当が付くように、その事情とは、内澤が某エエ市で豚を飼い、それを同時進行でルポとして書くという、一種の実験的生活に入るためでして、何日かに一度は戻ってくるはずですし、半年ぐらいで別居は解消となる予定です。まあ、単身赴任みたいなモンですね。


昨年は、旬公が新聞小説の挿絵のため、週に数日は仕事場に泊り込むような生活だったので、半分ぐらい別居というか、週に数日しか一緒に居る機会がありませんでした。その延長に今回の別居はあるといえばあるのですが。しかしまあ、見事なぐらい、好き勝手やってますね、お互い。仕事場、家、エエ市の仮住まいと、3ヶ所に分居というコトになって、さてどうなるか。不安でいっぱいです。


数日このブログを書くのを怠っていたら、たちまち日が過ぎる。土曜日の昼に、中華料理屋で昼飯食っていたら、NHKのニュースで「いま北朝鮮から飛翔体が発射されました!」と。緊迫した状態でそのまま数分待っていたら、誤報だと判り、がっくり。そのあと、恒例の「げんげ忌」へ。今年のお話は津野海太郎さんと、堀内路子さん。「今年は時間厳守で終わります」と云っておいて、終了間際に長々と喋るヒトが出てくるのも相変わらず。月の湯にも行きたかったが、間に合わなかった。


名古屋の彩流社のHさんから、新刊の井上善博『名古屋絵はがき物語 二十世紀のニューメディアは何を伝えたか』(本体1800円)と、そのもとになった名古屋市博物館の図録『名古屋市博物館収蔵 絵葉書図版目録』を送っていただく。単行本と図録ではまとめかたが違うので、両方比べながら読もう。


日曜の午前中、ニュースを見ていたら、「午前中にも発射か」と報じた後のCMで、パチスロの『宇宙戦艦ヤマト』をやって、波動砲が発射されていた。スネークマンショー(古い)の「日本は、いい国だなあ〜」を思い浮かべる。結局、出かけた後発射されたが、日本に直接の影響はなかった。


お昼から、ふれあい館で「不忍ブックストリートMAP」や店主関係の書類を折ったり、発送したりする作業。印刷室のリソグラフが不調で、汐見地域活動センターに回ってくれというので、そのダンドリを組んだが、そのあとであっさり「直りました」と云われる。タクシー代、返してよ! 助っ人さん、実行委員合わせて20人ぐらいで作業。5時に一段落して、10人ぐらいで韓国料理屋へ。


月曜は夕方に国書刊行会へ。昔の広告スクラップブックを見せてもらう。会社の前にある、小ぢんまりとした中華料理屋で、ビールとギョーザ、ラーメン。合計1300円という驚きの安さで、しかもウマかった。そのせいか、どのテーブルも相席で満員だった。


今日は仕事場で、午前1本、午後1本、いずれも書評を書く。『フリースタイル』届く。何度目かのリニューアルで、マッチラベルの連載はあえなく2回で終了。その代りに、一人が3つを選ぶコラムをぼくも書いている。しばらくはこのスタイルで続いてほしい。


夕方、神保町へ。〈ディスクユニオン〉で、スチャダラパー[11]、二階堂和美[ニカセトラ]、Perfumeワンルーム・ディスコ]を買う。久しぶりにレコード屋で新譜を買った。〈東京堂書店〉の3階で、畠中さんに一箱関係のチラシを渡す。その畠中さんのインタビューが載っている『ほんまに』第9号、橋爪紳也ほか『大阪の近代建築と企業文化』(ブレーンセンター、新なにわ塾叢書)、虫明亜呂無『女の足指と電話機 回想の女優たち』(清流出版)を買う。ここで「古本屋ツアー・イン・ジャパン」(http://blogs.dion.ne.jp/tokusan/)さんと待ち合わせし、向かいの〈TAKANO〉で取材。メールアドレスが判らず、ブログのコメント欄に「メール乞う」と書き込んで、連絡がついたのだ。いま古本界で興味津々の「ツアー」氏の衝撃的な正体が知りたい方は、次号の『彷書月刊』をご覧あれ。とりあえず、「富山の薬売り」ではありませんでした>岡崎さん。


ウチに帰り、DVDで《Gメン'82》を観る。覚醒剤中毒を扱った回で、清水健太郎が「シャブが……」と喋っているのがリアルすぎる(いまウィキペディアで見たら、この翌年に大麻で逮捕されている)。もう一本、ほとんど家の中だけで進行する回があり、監督が瀬川昌治だった。


東京新聞夕刊に、焼失した谷中の五重塔をテーマにした、セミドキュメンタリー映画谷中暮色》が完成との記事。監督の船橋淳(船の右は「公」)で、谷中の魅力にひかれてこの辺に住んでいるそうだ。ベルリン国際映画祭の招待作品となり、11日には谷中コミュニティーセンターで無料上映会を行うとのこと。時間があれば行きたいのだが……。