『文學界』の大座談会がオモシロイ

文芸誌は買っても読まずに半年ぐらい過ぎることが多いのだが、『文學界』4月号の11人大座談会「ニッポンの小説はどこへ行くのか」は、とても面白く、同時に、いま読んでおいてよかったと思わせるものだった。これは50年前の同誌に載った「日本の小説はどう変るか」という、13人による大座談会を意識したもの(その内容について紹介したコラムがついている)。出席者は、岡田利規川上未映子車谷長吉島田雅彦諏訪哲史田中弥生筒井康隆中原昌也古井由吉山崎ナオコーラ、司会は高橋源一郎。40ページ近くあるが、一気に読んでしまった。高橋源一郎の仕切りもうまいけど、じっさいに記事をまとめた編集者の力量(人選も含めて)なのだろう。高橋のあとがきにあるように、50年前の座談会における高見順の位置に、この座談会の中原昌也がいるというのがナンともすごい(扉の中原の写真もステキ)。個々の作家に興味なくても、読んでみてください。けっこう笑えて、もうちょっと小説を読んでみたい気にさせられると思うから。これ、人選を変えてもう一度やって(司会はやっぱりゲンちゃんで)、50年前の座談会を間に挟んで単行本化すべきだと思う。注もたっぷり付けてね。


などと雑誌を読んだり、霞流一『死写室』(新潮社)を読んだり(貸本劇画みたいな装画が内容にマッチ)してるのは、やるべきことから逃避しているからで、ソファに寝転がって5時間ぐらい経過する。おまけに、昨日から左上の歯が痛み出す。先月まで二ヶ月も歯科に通って、やっと虫歯を退治したと思ったのに、まだ残っているのか。けっきょく手付かずのまま、吉祥寺へと出かける。


バサラブックス〉の外台で、大河内昭爾編『味覚小説名作集』1、2(みき書房)を各300円で、中に入り、山前譲編『文豪の探偵小説』(集英社文庫)を300円で買う。買い損ねていた『HB』第3号もようやく手にする。〈啓文堂書店〉で、中原昌也『映画の頭脳破壊』(文藝春秋)と、岩波写真文庫の復刻版『本の話』を買う。後者は岩波ジュニア新書の『カラー版 本ができるまで』と並べておくと、いろいろ使えそう。


〈MANDA−LA2〉に入ると、テーブルがすべて埋まっていた。一箱古本市にも出品した「石ころ書房」さんのご一行も。石ころさん、いつも顔忘れててすまん(あと、いただいたうどん醤油、とても重宝しました)。あとから荻原魚雷さんも来ていた。どうにか椅子を見つけて座る。最初に薄花葉っぱ中尾勘二。しばらくライブを聴いてなかったが、以前のレパートリーはアレンジが変って堂に入っていたし、半分近くはアルバム以後の曲だった。そろそろセカンドアルバムが出てほしい。ピアノの坂巻さよさんは、相変わらず映画女優のごとくお綺麗で……と思っていたら、あとで坂巻さんのお母さんに声を掛けられる(以前メールをもらったのです)。今日は神保町に通う大学生の弟さんにも紹介される。本人とはほとんど話したコトないのに、なぜ家族と知り合いになっていくのか。


後半はオクノ修。坊主頭になっていた。後ろのほうで「なんでセトさんがいるの?」と女性の声が聞こえたが幻聴か? 云われてみれば、たしかに〈往来座〉の瀬戸さんっぽいけど、だれか「わめぞ」メンバーがいたのかな。オクノさんのライブは3年ぶりぐらいに見るが、うたもギターも圧倒的で、もっともっとやってほしいと思った。そのうち『ぐるり』で書いてみたいヒトだ。最後に薄花葉っぱが加わり、数曲やって終わる。


急いで中央線に乗って、西日暮里に戻り、自転車で千駄木の〈ブーザンゴ〉へ。「不忍ブックストリートの茶話会」の日なのだった。11時過ぎていたが、10人近く残っていてくれた。一箱の景品のアイデアなど出る。11時半に解散して、〈古書ほうろう〉で「不忍ブックストリートMAP」新版の色校を見る。うん、いい感じじゃないですか。ウチに帰り、おでんの残りで遅い晩飯。歯が痛いので、食べた気がしない。