疲れることと嬉しいこと

昨夜はあのあと、『筒井康隆文芸時評』(連載は『文藝』1993年春号〜冬号)を読了。200ページ近くの本だが、文字の級数は大きいし、上下の余白が大胆に大きく取ってある。32字×14行という、まるで小説のような組みだ。それでも、まだページが稼げないらしく、フツーだったら章末に小さな文字で組む注が、ページの左側にでっかい文字で組んである(しかし、純文学の作家、批評家、文芸雑誌には全員注をつけておきながら、エンターテインメントの黒川博行だけには注がない。編集者の根深い「ムラ」意識が感じられて、吐き気がする)。最後まで読むと、これが4回目に筒井が「断筆宣言」をして、連載が急に終ってしまったコトへの苦肉の対応策であると判る。で、内容だが、さほどオモシロイものではなかった。かつて、筒井の書評を読むたび、その本を借りに図書館に走ったほど影響されたぼくとしては、残念。ひとつだけ読んでみたいと思ったのは、小島信夫の『殺祖』という短篇。検索してみたら、『暮坂』(講談社)という短篇集に入っているようだ。探してみよう。


朝10時半に出て、神保町へ。なんとなくラーメンが食べたくなり,最近開店した〈ラーメン二郎〉に行ってみる。神保町交差点を専修大方向に歩き、少し北側に入ったところにあった。店内は10席ほど。開店直後なのに、すでに3人が待っている。他のチェーン店と同様に、食券は「大ダブル」「小ダブル」など独特の表記で、ラーメンを渡す前に店員から状態のご下問があり、客が「ニンニク増し増し野菜カラメ」(ほとんど呪文だ)などと答えるしくみ。もちろん、食べたあとの丼はカウンターの上に戻すし、フキンで拭いていくというお行儀の良さだ。じつによく飼いならされている。あとから入ってきた、この店というより〈二郎〉チェーンの常連らしき学生(本店のある慶応の学生か?)が、店長に話しかける。その会話のあまりの内輪ぶりと無内容さに、次第に腹が立ってくる。この店を全店制覇するようなマニアを「ジロリアン」と呼ぶそうだ。勝手にやってくれよ。


かなり待った末、ラーメンが到着。見た瞬間、「しまったー!」と思う。注文するときには、つい食べられそうな気がしてしまうのだが、現物は量が尋常でない上に、味も濃くて胸につかえる。それに量にごまかされがちだが、ぼくにはこの味がとくにウマイとは思えない。三田の本店に通ってた頃は、まだなんとか喰えたのだが、一年ほど前に堀切の店に行ったときは、全部食べきれず、「もう二郎はヤメよう」と誓ったのだった。それをスッカリ忘れていた……。結局、三分の一ぐらい残して、静かに退店。ああ、疲れた。


そのあと、〈岩波ブックセンター〉を覗いたら、昨年のBOOKMANの会でお話していただいた写真家の太田順一さんの『ぼくは写真家になる!』(岩波ジュニア新書)が並んでいたので、買う。大阪の朝鮮人街やハンセン病療養所に通い、写真を撮りながら考えてきたことが、平易な文章で綴られている。図版がたくさん入っているのもイイ(本人が主演した、大学時代の自主制作映画の写真まで入っている)。


仕事場に行き、色校を見る。ここまで来れば、終わりが見えてくる。合間に調べものをしたり、次号の企画を考えたり。夕方、岩波書店から郵便物。開けると、さっきの太田さんの本が! 買いたくなる本に限って、献本が来るのはどういうワケだろうなあ(買うべきか迷った本に限って、献本されたためしがない)。嬉しいメールが2通届く。ひとつは、某社に提出したある著者のエッセイ集が企画会議で通ったというお知らせ。これはぼくが編集するコトになる。もうひとつは、短い原稿の依頼だが、この日記を読んだ上でぼくのツボを突いた頼み方だったので、すぐさま「はいはい、喜んでやります」とお返事する。こういう乗せられ方はウレシイね。


6時過ぎに出て、神保町の〈丸屋〉というそば屋で、堀切直人さん、右文書院の青柳さん、書肆アクセスの畠中さんと青木さんと一緒に飲む。ある地味めのプロジェクトの相談だけど、飲むときはやっぱり飲むだけになっちゃうなあ。ま、楽しいからイイけど。この店、つまみがひとつひとつ美味しい。ホントはそばも食べたかった。


〈古書ほうろう〉に寄ってウチに帰ると、EDIの藤城さんから『サンパン』の締め切りについてのメール。「今度向井さんにお願いして、YUKIの『JOY』で南陀楼替え歌作ってもらいましょうか? “締め切り守ることなんて、ときどきとても困難だ〜”」。ウマイ(って喜んでる場合じゃない)。それよりも、文学とデザイン一筋だと思いこんでた藤城さんが、YUKIを知ってたコトに驚く。今度の『サンパン』では、「大スクープ EDIスタッフのプライベートライフ」という巻頭特集を組んでほしい。