愉しき哉、調べもの

9時頃に起きて、遅れていた『レモンクラブ』の書評を書く。今回は、藤岡大拙『出雲人 改訂版』(ハーベスト出版)を。ワリと早く書きあがるが、行くつもりだったフィルムセンターの映画(《警視庁物語 遺留品なし》)には間に合わず。新聞を見て、岡本喜八監督が亡くなったコトを知る。81歳。ぼくが好きな日本映画の監督としては、ベスト3に入るヒトだった。米子市出身であるコトにも親しみを覚えていた。まだまだ現役だと思っていたのだが……。いちばん好きなのは、ミュージカル・コメディの怪作《ああ爆弾》(1964)。これまで一体何度観たことか。


鍋の残りに豚肉を投入して食べながら、《噂の東京チャンネル》を見る。図書館に返す本をまとめる。坂口尚の『たつまきを売る老人』(奇想天外社、1980)は、南千住図書館の荒川区出身者のコーナーに置いてあった。見返しにはイラストとともに「父母へ 恵存」と書かれており、あるページのセリフの誤字が赤字で訂正されている(たぶん坂口自身の字だろう)。このような本に図書館で出会うと、感動を覚えてしまう。


どうも雲行きがアヤシイけど、自転車で出発。途中、少し雨が落ちてきたので、行き先を浅草の中央図書館でなくて、南千住図書館に変更。一階の「荒川ふるさと文化館」で、「あらかわと寄席」という企画展示を見る。江戸から戦後にかけての落語、講談、漫才などの歴史を「寄席」を軸に見ていく、というもの。寄席文字の橘右橘氏のコレクションが多く展示されている。いやー、荒川区のエリアだけでこんなにたくさん寄席があったのか、と驚く。詳しく触れるのはヤメるけど、そんなに大きくないけど、とても刺激的な展覧会。演芸史に興味のあるヒトは必見でしょう。入館料100円、図録(これも充実!)250円というのが、申し訳ないほど。入り口のところに、名士の寄席についての発言がパネルで掲示されている。そのナカに、小金井喜美子が森鴎外の寄席通いについて回想した文章が。トコロが、この初出が『日本古文書通信』となっている。なんだかおかしいとよく見たら、『日本古書通信』のマチガイらしい。受付の女性に伝えておく(ウチに帰り、古通の総目次を見たら、昭和30年7号に「寄席――兄鴎外の思ひ出」が見つかった)。


3階の図書館に上がる。入ったところで下の展示に連動して、落語関係の本やビデオ、CDを並べている(もちろん貸し出し可)。利用者の興味を喚起するこのような親切さが、この文化館と図書館にはある。最近、『出版ニュース』に南千住図書館の司書の人がコラムを連載しているが、今度からちゃんと読もう。いつもの席にパソコンをセットして、興味のおもむくママに調べものをする。さっきの「あらかわと寄席」展で、寄席の看板やビラに「ビラ字」を書いた「ビラ辰」という人物が出てきた(谷中宗善寺に墓があり、墓石に「ビラ辰」と大きく彫ってある)。で、「あれ? ビラって日本語だっけ」と気になって、小学館の『日本国語大辞典』を開いてみる。(1)ヒラ(片)の訛り、(3)ビラビラとしているところから、とある(2の解釈は意味不明なので略)。また、別の用例では、劇場の俳優または浄瑠璃の会の引き手進物の目録を送る書付をびらと云い、「ビラは披露の約語ラウを詰て披露とは云也」とある。補注に次のようにあるのがオモシロイ。

大正時代、社会運動の中で英語のbillと混淆し、外来語意識をもって用いられた。以来今日でも、和語・外来語の別の判然としない場合が多いが、「アジビラ」などは外来語意識で使われている。


なるほど、日本語に由来するコトバだが、ある時期から「アチラ産」だという通念が生まれたのか。オモシロイね。そのあと、東京公園文庫の『上野公園』を流し読み。ココにも初耳のエピソードが。昭和24年、不忍池を埋め立てて、プロ野球の球場をつくろうとする動きがあったそうだ。このとき、石黒敬七が、「あすこに十万人も入れる大きなヤツを建てて、アメリカから大リーグ等にも続々きてもらって大いにわれわれをたんのうさせてもらいたい」と「不忍球場待望論」を述べているのは、暴言というべきか慧眼というべきか。同書の参考文献から、台東区が出した『台東叢書 道路・橋梁考』という本に行き着く。コレは借り出して読むことにした。


そんなこんなで、当面の仕事とは直接つながらない調べものを愉しんでいるウチに、閉館時間が近づいた。何冊か借り出し、館を出る。雨が降りそうな気配だが、もう少しもつかもと思い、泪橋の〈大林〉でチューハイを飲む。いつも空いてるなあ、ここは。そしてまた自転車に乗り、三ノ輪を通って、ウチまで帰る。マンションの前まで来たら、本格的に降りだした。すべりこみセーフである。そのあと、本を読みながら、ぐっすり寝込んでしまった。


晩飯(旬公のつくった豚肉とフクロダケの煮物)を食べながら、NHKスペシャル新シルクロード》を見る。100年前に欧米、日本各国の探検隊によって剥がされ、持ち帰られた、トルファンの壁画を、CGによって再現する。学問の名の下に行なわれた「略奪」の一端が明らかに。笙野頼子ドン・キホーテの「論争」』を読了。やっぱり中島梓の名前は出てこない。知らなかったハズはないのになぜ? と思い、『幽界森娘異聞』を読むと、こっちにありました。褒められたけど嬉しくないし、怒ると弱い者いじめに見えるので、無視したのだとか。批判しなかった理由としてはちょっとヨワイな。ただ、中島梓文芸時評を担当した、1994年頃の状況をこう指摘しているのは、『ドン・キホーテの「論争」』での主張につながる。

あのあたりでもう、文芸評論家がいつのまにか時評しなくなってた。というより専門家にさせなくなって名前だけ使いたい素人や人気者にさせるのがトレンドにもなってた。(略)そう、この時点で金あってもいろいろタマッてる人の、虚栄心満たすお遊びになっていたの。


というワケで、次はまさに「あのあたり」に連載された、『筒井康隆文芸時評』(河出書房新社)を読もうじゃないか。今日は調べものと読書で一日が終ってしまった。