《四季の愛欲》は日本型スクリューボール・コメディの傑作だ

昨日手に入れたiPhoneだが、案の定、設定の最初から何も判らない。紙のマニュアルをなくすのは構わないが、購入して最初にやる設定ぐらいはしつこいぐらい判りやすくしておいてほしい。Auショップで渡された設定ガイドと実際の画面が違っていたら、誰だってこのまま進めていいか不安になるだろう。


で、今日はやや早起き。昨夜からの雪が積もっている。朝9時にau iPhoneサポートセンターに電話。幸い、一発でつながる。まずAPPLE ADというのを取得するのに時間がかかる。やっとできたので、次は前の携帯のアドレス帳を移行しようとするが、なんどやってもうまくできない。「ちゃんと保存されていたのか確認しろ」と云われて、auショップに電話するも、予想通り「ウチではやることをやったはず」と木で鼻をくくったような返答。Auのサポートに電話しろと云われてするが、「こちらでも確認できない」などと云われる。そのあと、サイトから確認できることが分かり、やってみると、確かに保存されていた。その上で、もう一度au iPhoneサポートセンターにつないでもらい、アドレス帳のダウンロードを試みるが、なぜか同じ所で止まってしまう。時間をおいてやり直したらうまくいくかもということで、今日のところはあきらめる。ここまででもう昼の1時だ。4時間もナニやってるんだ。もっとも、サポートにリアルタイムで教えてもらえるので、操作のやり方じたいはだいぶ飲み込めた。


急いでラーメンつくって食べ、外に出る。雪はやんで雨になっているが、道が半分凍りかけていてすべりそう。〈花歩〉でH社のSさんと打ち合わせ。雑誌の特集。ずっと前に『sumus』が神保町でやった談話会に来てくれていたという。帰ってちょっと休み、昨日書けなかった原稿に取り組む。気取らずに書いたら、なんとかうまくできたようだ。時間を見ると、今出たら〈神保町シアター〉の最終回に間に合いそう。雪の日なので出かけるのがおっくうだが、『名画座かんぺ』発行人ののむみちさんから強力に勧められた映画なので、行くことに。


中平康監督《四季の愛欲》(1958)。原作は丹羽文雄の『四季の演技』。冒頭に、丹羽文雄が原稿用紙に書いた、私は小説家として云々という文章が出る。そして、売れっ子の若手小説家(安井昌二)のもとを、母親(山田五十鈴)が訪れるシーンから始まる。いかにも文芸物の映画という雰囲気で、小説家と母親、長女(桂木洋子)、小説家の妻(楠侑子)らのそれぞれの「愛欲」がシリアスに描かれていく。恋愛に絡まないのは、さっぱりした性格の次女(中原早苗)だけだ。


しかし、シリアスな表面に、どこか奇妙で笑える要素がちらつく。それが判るのが、夫(宇野重吉)のある桂木洋子が従兄(小高雄二)に連れ込み旅館で身を任せるシーン。それまで、しとやかな話し方だった桂木が、「パトロンの女と別れて」と頼む時には口調がやたらと早口になり、「こんなところじゃイヤだけど」と口走りながら、小高に抱かれるあたりで笑ってしまう。その後も、安井が那須の旅館のバーに勤める百合子(渡辺美佐子)に「水虫の具合はどうだ」と云い、いきなり渡辺の足に水虫の薬を塗りだすシーンとか、パトロン(永井智雄。最近この人が出てくる映画を観ることが多い)に邪険にされて帰る山田のモノローグと独り言がごっちゃになるシーンとか、ギャグではないのだが、シリアスなノリをぶち崩す要素がふんだんに盛り込まれている。


丹羽文雄の小説はほとんど読んでなくて、日本的風土での文豪というイメージをもっていたが、中平のこの映画は、「愛欲」をどろどろしたものではなく、人生の偶然の出会いを生み出すゲームとしてとらえている。熱海や那須の旅館、銀座の街頭などで、知り合いの男女が出食わしたり、目撃したりという、ヒトの出入りをうまく使っているのも、アメリカ映画のいわゆる「スクリューボール・コメディ」(定義はこの際措きます)を、中平流にアレンジしたものだろう。最高なのはラストで、駅のホームでぽかんと口を開けて列車を見送る主要人物たちと、動き出す列車のカットが交互に映される。それまでのシリアスさを、一気にぶち壊すパワーがあった。観終わって、凄いものを観たという満足感にひたる。もう一度観る機会があればいい。


丹羽文雄ははたしてこの映画を観ただろうか。「これは自分の世界じゃない」と怒ったのか、それとも、「結構面白いやないか」と笑っただろうか。


帰りに小川町の〈とくや〉で、塩たまごラーメン。たまにしか来ないけど、ここのラーメンはときどき食べたくなる。神保町では珍しく券売機が置いてなくて、夫婦だけでやってるのもいい。帰ると、津の雑誌『kalas』の第15号が届いていた。今回の特集は「生えているところ」。いつも抽象的な特集タイトルだが、ページをめくっていくと、そのタイトルに納得させられるのが見事だ。