賢太もいいが健もいい

昨日も織田作之助を読み進む。講談社版全集(全8巻)でいうと、半分ぐらいまで来たかな。青山光二の回想録も再読。あと、久世ドラマの影響で、小林竜雄『久世光彦vs.向田邦子』(朝日新書)を読んだ。《時間ですよ》は、初回から4回まで橋田壽賀子が脚本を担当しているが、女の裸が出たり、「トリオ・ザ・銭湯」などのアドリブの強い久世の演出が気に入らなかったからだという。モノクロ放映時代の30回までがDVD化されてないのは、そのせいなのだろう。


今日は午前中、〈カフェ・ド・パルク〉で盛岡から来たFさんと会って話す。そのあと神保町へ。書評で取り上げる新書をまとめ買い。〈神保町シアター〉で、吉村公三郎監督《婚期》(1961)。小姑の姉妹(若尾文子野添ひとみ)がいる家に嫁に入った京マチ子らの確執を描く。別に暮らしている長女役の高峰三枝子も含め、女優がみな達者。北林谷栄のばあやがぼそりとつぶやく一言が面白い。宮田重雄のタイトル画、池野成の音楽もよし。気持ちよく観られる映画だった。靖国通りとんかつ屋でランチを食べる。650円だがボリュームがある。たまに来ると、次また来なくちゃと思わせる店。


ウチに帰り、赤旗の書評原稿。今回は西村健『地の底のヤマ』(講談社)。2段組で860ページもあるので、読むのにまる2日かかった。炭鉱の町・大牟田市での約35年にわたる長大なドラマ。山本作兵衛の炭鉱画がユネスコの世界記憶遺産に登録され、炭鉱の歴史が見直されているいま、いいタイミングで刊行されたが、おそらく大牟田出身の西村が長年温めていたテーマではないだろうか。いま作家で「西村」と云えば、大方の人は「賢太」を思い浮かべるだろうが、ぼくは「健」も好きで、デビュー作の『ビンゴ』などの「オダケン」シリーズは読んでいる。ただ、アクションものの人だと決めつけていたので、本作のように、史実を背景に人間ドラマを描ききる筆力があったとは驚きだった。


西村健といえば、オダケンのシリーズでは、段落が変わるときに句点「。」も読点「、」も使わずに改行している部分があり、最初は誤植かと思った。しかし、全部がそうなのではなくて、どうも意図的にやってるようなのだ。文章の流れを止めたくないためにそうしたのか、よく判らないけど、かえって気になった。しかし、本作では普通に句読点が使われているし、近作の『任侠スタッフサービス』(集英社文庫)も普通だった。ということは、あのシリーズだけのルールだったのか? ご本人にお会いする機会があれば、ちょっと確かめておきたいことではある。