《寺内貫太郎一家》と「リリー・マルレーン」

このところ、DVDで1970年代のTBSドラマ《時間ですよ》と《寺内貫太郎一家》を並行して観ている。どちらも、名前だけでまったく観たことがなかったので、いろいろ判って面白い。《寺内〜》は向田邦子原案・脚本の、谷中の墓石屋一家を描いたドラマだが、ほとんどのストーリーがセット内で進行する。ときどき出てくる外ロケは、100パーセント上野公園で、谷中霊園や街並みは一切出てこない(まだ1シーズン目の途中だが)。これは演出・プロデュースの久世光彦が、セット収録にこだわったかららしいが、少しでも谷根千の街のシーンを残しておいてくれると、よかったんだけど。


以下は、リアルタイムに番組を見ていた人や、久世光彦向田邦子が好きな人にはよく知られている話かもしれないが、テレビドラマにうといぼくには、はじめて知ったことなので、書きとめておく。


第18話(DVD第4巻)では、冒頭から「リリー・マルレーン」のメロディーが流れる。そして、貫太郎(小林亜星)が「昨日読んでた『文藝春秋』知らないか、あのコウモリの表紙の」と云うのだ。その1974年5月号の『文藝春秋』には、鈴木明の「リリー・マルレーンを聴いたことがありますか」という記事が載っている。第二次世界大戦下のアフリカ戦線で、ドイツ軍と連合軍がラジオを通じて同じように聴き、口ずさんでいたのが「リリー・マルレーン」という、恋人と別れて戦場にいる兵士の歌だった。《寺内〜》では、この記事の内容を説明しながら、しつこいまでにこの曲を流す。この曲に秘められたストーリーと、長女の静江(梶芽衣子)が子連れの男(藤竜也)と一緒に暮らそうと決意するという重要なシーンが見事に重ね合わされている。梶と藤が二人で歌うシーンがあり、西条秀樹と浅田美代子もいつもの歌を止めてこの曲を日本語で歌う。静江が家族のもとに戻るシーンには涙が出た。ひとつの文章をここまで見事にドラマに取り込んだのは稀有な例だろう。


鈴木明『リリー・マルレーンを聴いたことがありますか』(文藝春秋)は文春文庫にもなっており、古本屋でもよく見かける本だが、読んだことはなかった。新刊では在庫がなく、図書館に行くと1988年の新装版(装丁は平野甲賀)があった。まず、著者のプロフィールを見ると、あの『「南京大虐殺」のまぼろし』を書いた人だった。職業に「TBS勤務」とあり、なんだお仲間かと、ややしらけたが。


著者は、1970年の大阪万博でのマレーネ・ディートリッヒのショーで、はじめて「リリー・マルレーン」を聴く。気になって調べはじめると、この曲が戦時中にベオグラードのドイツ放送局から流されて、多くの兵士を虜にしたこと(そういえば、クストリッツァの《アンダーグラウンド》でも、この曲が何度となく流れていた)。ドイツで生まれたディートリッヒはアメリカに帰化してから、連合軍のための慰問活動を積極的に行ない、そこでこの曲を歌っていたこと。ラジオで知られてから、各国でいろんな歌詞でこの曲が歌われてきたこと。などが判ってくる。そして、取材のため著者はヨーロッパに渡り、この曲が生まれてからヒットするまでの数奇な運命を明らかにする。中古車を買って、ドイツ、フランス、イギリス、ユーゴスラヴィアと移動し、この曲の作曲者やユーゴ人の「ドウシャン・マカベエフ」(当時パリで活動中)など、さまざまな人と出会う旅が描かれる。ディートリッヒへの興味からはじまった取材が、ララ・アンデルセンという日本では全く知られていない歌手に比重が移っていくところが面白い。非常に読みごたえのあるノンフィクションだった。


ついでに、ということで、加藤義彦『「時間ですよ」を作った男 久世光彦のドラマ世界』(双葉社)を読んでみると、この回について触れられていた。それによると、鈴木明の文章を見つけたのは久世光彦で、それを向田邦子に読ませたら、その文章をヒントに1本書いたのだという。『リリー・マルレーンを聴いたことがありますか』のあとがきには、脚本を書くにあたって向田が鈴木を訪問したとある。

リリー・マルレーン」は、素人の僕が考えても「寺内貫太郎一家」の雰囲気とはいささかそぐわないのではないかという危惧があったが、向田さんは「こういう日常的なドラマの中に、異色な今日的なテーマを注入することによって、従来からあるパターンに、刺激を与えたい」と、僕に語った。


放送後、この曲は広く知られるようになり、レパートリーに入れる歌手も出てきた。淡谷のり子倍賞千恵子久世光彦の歌詞で歌ったそうだ。いつか聴いてみたい。