イモヅル式読書と映画
今週は書評原稿が2本と著者インタビューが1件あり、取り上げる本に関連する本を読んでいた。『コンフォルト』には、畑中章宏『柳田国男と今和次郎 災害に向き合う民俗学』(平凡社新書)の書評を書いたが、サブタイトル通り、民俗学と考現学の創始者が、東北の飢饉や関東大震災という災害を前に、自分の学問をどう鍛えていったかが判る本だった。大学生のときに民俗学サークルにいたときに、読んだり考えたりしたことを久しぶりに思い出す機会になった。現在、〈パナソニック汐留ミュージアム〉で開催中の「今和次郎 採集講義」展の図録が、同題で青幻舎から刊行されているが、この図録の編集も畑中氏が手掛けている。新書と図録、セットで読むといいだろう。
ついでに、以前小沢信男さんから頂戴していた『今和次郎集』第9巻(ドメス出版)を引っ張り出し、パラパラ読む。第4巻「住居論」の「バラックについて」「震災バラックの思い出」および戦後に書かれた「戦災者の仮住まい」は、東日本大震災の後の仮設住宅のことと思い合わせずには読めない。また、エッセイ集『ジャンパーを着て四十年』(文化出版局)も面白い。冒頭で、今は柳田から「考現学とはけしからん」と破門されたと書いている。この破門の件はほかの文章でも見えるが、畑中氏の新書によると、柳田自身は「破門した覚えはない」と云っているそうで、そうなると、今自身がそういう云いかたで柳田民俗学から距離を置いたのではとも思えてくる。
また、今は大学の授業や会議、あるいは冠婚葬祭に至るまで、ジャンパー姿で通した。今は子どものころから学校が嫌いで、中学の入学試験には落第した。だから、戦後早大の工芸美術研究所の設立にかかわったときは、入試を行なわずに選考だけにし、しかも「いろんな大学に試験をうけて、落第した回数の多い者からとることにしよう」と決めた。教育者としての今和次郎は、型破りながら非常に面倒見がよく、生徒や先輩の先生から愛されたようだ。ぼくもこんな先生に、考現学や建築学の授業を受けたかったものだ。
さらに、代表的な著作である『日本の民家』(岩波文庫)にも手を伸ばす。以前読みかけたが、中断していたもので、今回は最後まで読みとおしたいもの。また、展覧会を見ていて、今和次郎と花森安治の立ち位置が似ていると思っていたら、二人が対談していた雑誌記事があった、「建築と服飾」というもので、『花森安治戯文集』1(LLPブックエンド)に収録されている。まあ、そんなこんなで、イモヅル式に読んでおきたい本に並行して目を通しているわけです。
今週観た映画。映画の日に、〈上野東急〉でクリント・イーストウッド監督《J・エドガー》(2011・米)を。ジョン・エドガー・フーヴァーの伝記映画。レオナルド・ディカプリオのなりきりぶりは凄いし、アメリカの民衆管理体制が出来上がっていく様子がリアルに描かれているが、淡々としすぎているので途中やや眠くなる。これがイーストウッドの最後の監督作品になるのはさびしい。最後はスカッと痛快な映画で終わってくれないかな。
なお、冒頭にフーヴァーが秘書を連れて、ワシントンの〈Library of Congress〉に行くシーンがあり、この字幕が「国会図書館」になっているが、これは「議会図書館」と訳すのが普通だ。さまざまなコレクションをデジタルした「アメリカン・メモリー」をやってるところですね。フーヴァーはこの図書館のカードシステムを発明したと、秘書に自慢するのだが、これは本当だろうか? 調べてみたい。