矢部登『田端抄』を読む

午前中、まだ読んでなかった資料数冊にざっと目を通す。そのあと原稿を書きはじめ、3時間ほどで完成。萩原朔太郎についての短文だが、昨年から全集や関連書をかなり読み、朔太郎が好きになりつつあるので、入れられないエピソードが多かったのが惜しい。関連書のなかでは、嶋岡晨『伝記 萩原朔太郎』上下(春秋社)がもっとも役に立った。文献を調べつくした上で、自分の見方をしっかり打ちだした良い評伝の見本。こういう本をいつか書けたらな、と思う。


このところ、部屋にいても底冷えがするが、今日はまだ一段と寒い。自転車で出かけて、本駒込図書館へ。休館日だったのでポストに本を返し、〈ときわ食堂〉でチューハイと定食。この店にしては珍しく客が少なかった。


矢部登さんから『田端抄』(書肆なたや)をいただく。四六判・20ページ、ホチキス綴じの小冊子。『日本古書通信』掲載の「根岸残香」に、「田端夢幻」「瀧野川中里」と2編を加えてまとめたもの。田端で生まれ育った矢部さんが、家の周りを散歩しながら、数珠つなぎのようにして、地元にゆかりのある文人のことを綴っている。登場するのは、柴田宵曲芥川龍之介岩本素白正岡子規、徳田一穂、諏訪優中井英夫室生犀星ら。


もちろん田端に行ったことがない人でも読めるものだが、文中に出てくる通りや寺、神社などを知っているともっと楽しめる。たとえば、こんな記述。

しかしここは、与楽寺坂を上りきった高台通りを左折し、桜並木を歩いて東台橋へ到る。その手前の路地を右に入り、田端駅のホームを見下ろす崖上に出ると、前方が大きく開ける。いまは表口の崖のかどを切り崩してビルが建つが、以前その崖上には喫茶店アンリイがあった。店内からの展望はとてもよかった。


このアンリイのことは、冨田均のエッセイで知ったが、矢部さんによると、徳田一穂『秋聲と東京回顧』(日本古書通信社)にも出てくるそうだ。また、別の個所に、与楽寺の脇に中井英夫が住んでいたともある。最近、与楽寺の前の家々が軒並み取り壊され、以前の風景がすっかり消えつつあることが、つくづく惜しまれる。


個人的には、ちょうど萩原朔太郎づいているので、これらの人名に朔太郎を付け加えたくなる。朔太郎は友人の室生犀星を追うようにして、1925年(大正14)4月に田端に住んだ(現在の谷田橋通り沿い)が、11月には鎌倉に引っ越している。朔太郎は『移住日記』の中で、田端は「妙にじめじめして、お寺臭く、陰気で、俳人や茶人の住みそうな所」であるとし、「何もかも、すべて田端的風物の一切が嫌いであった」と切り捨てている。もっとも、『田端に居た頃』によると、田端の悪口を云う朔太郎を、犀星は「君はどこに居たって面白くない人間なのだ」とやりこめている。


それはともかく、矢部さんのこの本は薄い小冊子ではあるけど、そこに込められている内容は深い。奥付に「無用の小冊子なれば、数部を印行に供せんとす」とあり、矢部さんの謙虚な性格から広く頒布するおつもりはないようだが、田端に興味のある人には見逃せないものだと思うので、せめて〈石英書房〉には置いてほしいものである。