小島武さんのこと

明日16日の茶話会は、不忍ブックストリート実行委員でもある「音の台所」さんこと、茂木淳子さんにお話ししていただきます。さまざまな収穫のあった「欧州大冒険旅行」についてのお話です。初めての方もお気軽にどうぞ。
http://d.hatena.ne.jp/oto-kitchen/20091215


このところ、夜中に本を読んでいてなかなか寝付けず、朝も寝坊がち。《ウェルかめ》をリアルタイムに見て、ウチを出る生活に戻さないとまずい。そういうワケで、今朝も5時に寝て11時半起床。青くなって仕事場に行き、遅れていた原稿を書く。ちょっと面白いテーマでのブックガイド。


一息ついて、資料本を読んでいたら、電話が鳴った。「コジマタケシの息子ですが、父が10月に亡くなりました」。一瞬、感じが思い浮かばず返事に詰まるが、すぐにイラストレーターの小島武さんのコトだと判る。息子さんのお話だと、数年前から病気をされていて、息子さんのお宅に同居されてから復調していが、10月に急に体調を崩されてお亡くなりになったそうだ。葬儀は家族で行ない、訃報も雑誌に小さく出ただけだったという。残されたノートにあったぼくの名前を見て、お電話くださったそうだ。


小島さんは『季刊・本とコンピュータ』の創刊時に、柱となる連載の一つだった、ボイジャーの萩野正昭さんの「マルチメディア創世記」にイラストレーションを描いていただいていた。連載の担当は仲俣暁生さんだったが、彼が小島さんから受け取った原画を仕事場に持って帰るたびに、スタッフが今回はどんな絵かと見に行ったものだ。緻密な写実画でありながら、線の一本一本に独自の質感があってとても好きだった。その頃、古本屋で1970年代の雑誌(『ワンダーランド』とか『ミュージックマガジン』とか)を買うと、何冊かにいちどは小島さんのイラストを見つけた。


ぼくが初めて小島さんと仕事をしたのは、12号(2000年春)掲載のマンガ『パンジー』だった。同誌では毎号マンガを掲載しており、小島さんにマンガを頼もうというプランは平野甲賀さんだったと思う。小島さんは平野さんのことを兄貴分のように思っていて、「平野さんに云われちゃ断れないよな。でも、じつは昔マンガを描いてたんだよ」と引き受けてくださった。しかし、やはり久しぶりで調子がつかめなかったのか、締め切りを過ぎてもまったく音沙汰がなく、四谷三丁目の仕事場まで行ったが、中にいるはずなのに出てきてくれない。その膠着をなんどか繰り返した結果、もう本当に落ちる直前に、やっと8ページの原稿をいただいた。ストーリー漫画になるはずなったのに、セリフが一言もない、でも印象的な作品になった。


第二期に入って、萩野さんの「ふんばれ、デジタル」というコラムでも、小島さんのイラストをお願いし、これはぼくが担当した。毎回、四谷三丁目のホテルのラウンジに、原稿をいただきにいった。その頃、小島さんは一人暮らしをはじめられていて、自炊など初めてすることが多く、毎日が目新しくて面白い、とおっしゃっていた。以前は大酒飲みだったと聞くが、身体を壊されたのか、ほとんど酒は飲んでないとも。酒場に行かない分、人づきあいが減って寂しかったのか、いちど会いに行くと、用事が終わったあともなかなか返してくれなかった。いま思うと、あのときにもっといろいろ聞いておけばよかった。


2005年に本コが終わってからは、ときどき小島さん、どうされているかなあと思いつつ、そのままになっていた。いまとなっては遅いけど、仕事の有無にかかわらず、いちどでも会いに行っておけばよかったと思う。いつか、小島さんが手がけた膨大なイラストレーションやデザインをまとめた本が出るといいなあ。小島さん、安らかにお眠り下さい。