《当りや大将》が「怪作」止まりな理由

8時起き。《だんだん》最終回を観る。半年間観てきて、やっぱりこういうラストか……。判ってたんだけどね。それにしても郷土愛の高まらないドラマだったコトよ。松江城宍道湖しか出てこない島根県なんてつまらん。本郷図書館でリクエストの本を受け取り、仕事場へ。1本書く。用事で田端銀座に行き、スーパーで買い物して戻る。もう1本書く予定だったが、資料が揃わないので手がつけられず。明日巻き返すか。


神保町に出かけ、〈三省堂書店〉で、小谷野敦『東大駒場学派物語』(新書館)と井上ひさし『わが蒸発始末記 エッセイ選』(中公文庫)を買い、〈神保町シアター〉へ。今日は中平康監督《当りや大将》(1962)。冒頭から釜ヶ崎の生々しいロケシーンが続く。長門裕之の当り屋が車に触って転ぶと、周りからわらわらと人が集まってくるシーンが可笑しい。前半は、刹那主義に生きる連中をクールに描いて素晴らしい。子どもにガラスを割らせてその直後にガラスを売りに行ったり、女を買いに行ってその女にバクチで有り金を巻き上げられたり。浜村純の刑事が云うように、どこか道徳観に欠ける連中が魅力的だ。しかし、長門が貯金を使いこんだ轟夕起子が車に轢かれて死に、長門がその亡霊に悩まされるようになると、いきなりウェットな調子になり、黒澤明《生きる》の中途半端なパロディになってしまう。前半の非人間性を貫いた終わり方なら「傑作」と呼びたいところだが、コレじゃあ「怪作」止まりだなあ。ともあれ、釜ヶ崎の風景を見るだけで、この映画は必見。5月から〈ラピュタ阿佐ヶ谷〉の中平康特集でも上映します。


終わって、なんとなく飲みたくなって、さくら通りの〈加賀廣〉へ。平日は混んでいては入れないが、今日はガラ空き。ただ、ビールがもうちょっとだけ残っている段階で、「次はどうしましょうか?」と店員が聞いてくるのにイラつく。いちばんイヤなタイプのサービス精神だ。千駄木に帰り、テレビが始まるまでとちょっとヨコになったら、11時まで眠ってしまう。


録画しておいた《出没!アド街ック天国》(テレビ東京)を観る。「100円バスで行く谷根千」という1時間半のスペシャル。めぐりん(台東区)とB−ぐる(文京区)を、コレでもかというほど前に出している。「不忍ブックストリート」は19位。宮地さんのコメントは残ったが、ぼくのコメントはカット。やっぱりなあ、なんかそうなるような気がしてた。実行委員の会議の模様がちょっと映る。昨年秋の映像では、ドンベーブックスさんが映ってましたね。登場する飲食店は有名店ばかりで、自分の行きつけがあまり出なかったことにホッとしたり残念だったり。それにしても、中尾彬がどの店についても事情通なコメントをするのにムカつく。全部の順位はこちらに載ってます。http://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi/090328/index.html