「ハードスタッフ・ナイト」への2つの感想

1月19日の「ハードスタッフ・ナイト」に参加した方から、ブログへのコメントやメールをいただいています。ありがとうございます。


トークというのは、その場でナマで進行するものだから、参加者によって受け取り方の違いがあるのが当然だ。「トーク十番勝負」のほかの回でも、あそこが足りないとか、長すぎるなどのお叱りをいただいたことがある。進行役の私としては、それらの批判を真摯に受け止めるしかない。しかし、困るのは何を批判したいのかが、はっきりしない記述だ。今回、そういう感想が2つあった。


ひとつは、小西さんとも交流の深いミュージシャンのJOJO広重さんのブログ(http://noise.livedoor.biz/)で取り上げられた、あるブログ(http://takuya-momma.blogspot.com/)での感想。トークに参加したが、「居心地の悪さを感じる」と始まるもので、その理由をはっきり書いてないのだが、本人が何か鬱屈を抱えているのが感じられる。それに対して、広重さんは次のように書かれている。

徳島の北島町という、それこそ映画館もないような県の、田んぼと畑しかないような小さな村の一個人が、アーサー・マッケンや林直人アウシュビッツや、長谷邦夫伊福部昭紀田順一郎にどんどんつながっていくのだ。このことがどんなに凄いことか、君はわからないのか。


個人の自己満足が深まれば強靱なパワーが生まれ、自分の思っている以上の力を出し、政治や金融やどんな偉そうな文化人や芸術家もなしえないようなこと、個人と個人の心と心をつなぐような奇跡のようなことができるのだ。
君はわからないのか。


広重さんはこの日のトークに参加してないにもかかわらず、ここで私が小西さんといちばん話したかったことを的確につかんでくれている。広重さんがこう喝破をしたことを受けて、このブログの主から理解した旨メールがあったそうで、まずはヨカッタ。


もうひとつ、困ったのはこのブログ(http://blog.seiteisha.com/)の記述。

残念なのが、もっとハードスタッフの経緯やミニコミの話が中心になるのかと思っていたのが、小西さんのお仕事のお話が中心になっていたこと。トークイベントには初めて参加したのですがあくまで内容は分からないものなのかな。創世ホールのお話もそれはそれでおもしろかったし盛り上がっていたのですが・・・求めていたトークとは違っていたかな、という感じです。


星庭社というのは、これからリトルプレス/ジンを刊行しようとしている二人組のようで、どういうモノをつくるのかは判らないのだが、このブログからはミニコミの状況をリサーチしている様子が伝わってきて、ときどき読んでいた。前に『ミニコミ魂』とそこに載った小西さんのインタビューに触れられていたので、メールでこんなトークがあると誘ったのだった。折り返し、Hさんという人からメールがあり、仕事が終われば行くという返事だった。しかし、トーク終了後も声をかけられなかったので、忙しかったのだなと思っていた。この記事はもう一人のSさんが書いていて、Hさんが一緒だったのかは不明だ。


この記述が困るのは、自分が何が言いたいのかを曖昧にしておいて、相手を否定するという、いまどきブログにあふれている文章の典型だということだ。「求めているトーク」がナンなのかを一言も書かないで、相手を批判するというのは、自分のいいたいことは伝わっているはずだという甘えでしかない。


事実認識もおかしい。「小西さんのお仕事のお話が中心になっていたこと」とあるが、後半で創世ホールでの仕事について話してもらったものの、かなりの時間は『ハードスタッフ』について割いていた。もっとも、誌面の内容については読めば判ることだし、最新号を買って帰ってもらうのが目的なので、記事の一つ一つよりも、どうやってこの雑誌をつくっていったかという姿勢についての話をメインにしたことはたしかだ。それがお気に召さなかったのだろうか? であるにしろ、それが、「ハードスタッフの経緯やミニコミの話」ではないというのが解せない。小西さんの生き方と『ハードスタッフ』が深く結びついていることは、トークの参加者には伝わったと信じていたのだけど、ちゃんと話を聴いてくれていたのかなあ?


自分を絶対的な安全圏に置いて、要求だけを突きつけるのは簡単だが、そんな人がつくるミニコミ(でもリトルプレスでもいいが)に何か期待を持てというほうが無理だろう。