『ハードスタッフ』とは何か

1月19日(月)に〈古書ほうろう〉で行なわれる「ハードスタッフ・ナイト」、予約受付中です。徳島のミニコミ『ハードスタッフ』の15年ぶりの発行を記念して、発行者の小西昌幸さんをお迎えします。


といっても、「『ハードスタッフ』ってナニ?」という方が多いと思うので、今日はその導入部として、『ミニコミ魂』(晶文社、1999)でぼくが小西さんにインタビューした記事を転載します。原稿のままなので、誤字があるかもしれませんが、ご容赦ください。

「ハードスタッフ」
先鋭疾風社/小西昌幸/1976年創刊/1000円/B5変型/204ページ/11号まで


手元に「先端的硬派雑誌」と銘打たれた「ハードスタッフ」第11号がある。B5判よりやや大きめのサイズで、200ページという厚さ。表紙には次のようなコトバが刷り込まれている。「手応えある雑誌とは何か? 心震わす書物とは何か? 力みなぎる表現とは何か? すべての答えはここにある。同志・友人諸君、お待たせだった。『ハードスタッフ』10年ぶりの発行だ。さあ、胸ときめかせ貪り読むがいい。そして今宵、本書を抱きしめて眠れ」。ナカを開くと、まず1980年前後の関西アンダーグラウンド音楽シーンを検証する特集があり、50ページにわたる「関西パンク年表」や、ハルメンズの佐伯健三インタビューが載っている。ココまではマニアックな音楽雑誌のようだが、そのアトには青林堂長井勝一インタビュー、『ツインピークス』徹底研究、『きかんしゃトーマス』論と一見脈絡のない記事が並んでいる。しかし、全体を貫いているのは自分の愛するモノゴトをしっかりと記録するのだという強固な意志だ。徳島という地方都市でいかにしてこんなに素晴らしいミニコミをつくりあげたのか。この「ハードスタッフ」の編集発行人である小西昌幸さんに会うために、徳島を訪ねた。


――どうして「ハードスタッフ」(以下HS)を創刊したんですか?
もともと本や雑誌を読むことが好きだったんですが、中京大の学生だった1976年の夏休みに自分でもナニかつくりたいという気運が高まって、友人二人でミニコミをつくることにしたんです。


――創刊号は8ページで手書き、簡易オフセット印刷ですね。
小西 版下を持っていったらその場で印刷してくれる店があったんです。コピーはまだ高かった。自分でホチキス製本しました。100部つくって、名古屋のウニタ書店やミニコミを置いてくれる喫茶店に持っていったけど、自分のまわりではほとんど反響がなかった。ところが、作家の板坂剛さんや「同時代音楽」という雑誌をやっていた府川充男さん(デザイナー)に送ったらすぐに感想が返ってきたり、第2号で頭脳警察の特集をやったらそれがパンタ本人の目にとまり、上京したときにご自宅に泊めてもらってインタビューできました。そういう反応が嬉しくて、ミニコミを続けるようになったんです。


――第5号でいったん休刊宣言をしてますね。
小西 大学を卒業して徳島に帰ってきて、改めて第6号を出したんです。そのとき「先鋭疾風社」を名乗りました。私は就職浪人で悶々としてたんですが、その分ミニコミに熱中して一年に3号出しました。最初はロックペーパーだったんですが、ロックにとらわれずゴリッとした手応えのある表現を取りあげていく個人誌になっていったんです。徳島県内ではほとんど売れなかったけど、私は自分が常にミニコミ界の王道だと思っているから気になりません。その当時、ロックや映画などのサブカルチャーに正面から取り組んだミニコミはあまりなかったので、ずっと読んでくれる熱心な固定ファンが全国にいましたね。「HS」は、自分の好きなアーティストや映画などの表現を文章で記録して再現し、読者にその良さを伝える雑誌だと思っています。ビデオが普及しても文字の力は大きい。商業誌にそういうのがないから、自分でつくるしかないんです。


――第9号のあと第10号まで3年、次の第11号まで10年という長い期間がかかっていますが。
小西 仕事や身辺は忙しくなってしばらく「HS」はお休みしていましたが、その間も「スーパー書斎から出撃せよ」というフリーペーパーを出したり、『おじさんたちも原発いりません』というパンフレットや板坂剛さんの著書を出版して次の「HS」への助走は続けていました。私は若気の至りでミニコミをやっているように思われるのが大嫌いですから、とことん続けていきます。第12号でやりたいことは決まっていて、材料も揃いつつあります。来世紀に入るかもしれませんが、必ず出しますよ。


 小西さんは徳島県北島町の職員で、現在は「創世ホール」の企画担当として紀田順一郎種村季弘などの講演会を実現させている。そこで出している「創世ホール通信」を見ると、この仕事と「HS」の世界が次第にシンクロしてきているようだ。深夜まで小西さんのハナシを聞き、翌朝コーフンして徳島をあとにした。僕もミニコミや自分の表現にもっと真剣でありたいと思う。


そして、12号は「来世紀に入るかも」どころか、2008年になってやっと出たのだ。パンクミュージシャンの林直人の追悼特集をはじめとして、活字・印刷研究、長谷邦夫伊福部昭、スーパーミルク、澁澤龍彦種村季弘紀田順一郎寺山修司水谷準中島河太郎長井勝一ら、小西さんがこよなく愛している対象の論考やインタビューが物凄い文字量で詰め込まれている。ここには、この15年間の小西さんの活動や考えてきたことが写し取られているように思う。


これまでほうろうでやってきたトークに比べると、今回は正直云って知名度は低いのはたしかだ。いまのところ、予約者は10数人で、『ハードスタッフ』関係者が多い。しかし、ぼくとしては、むしろこの雑誌を知らない人に向けて、今回のトークを行ないたいと考えている。出版界で暗いハナシしか出ないいま、『ハードスタッフ』の最新号が出たのは、すごいタイミングだと思ったのも、企画した理由のひとつだ。雑誌やミニコミをやりたいと思っている人、職場や仕事に疲弊している人、情熱のはけ口を見つけられないでいる人……は、ぜひ小西さんの話を聞きにきてほしいと思う。きっと、ビックリすると思うので。


そのビックリした体験を、プレジデント社の石井伸介さんが書いた文章がある(http://www.president.co.jp/pre/special/editor/050/)。石井さんが小西さんに会ったのは、1999年の「本の学校」大山緑陰シンポジウムでのこと。たしか、佐野眞一さんの『だれが「本」を殺すのか』の取材に同行されてのことではなかったか。小西さんは、ぼくがパネリストとして参加した第5分科会「これからは私たちが本を作り、本を残す」で、自分の活動について報告し、会場の人々に感銘を与えている。


長くなりましたが、というワケですので、予備知識は必要ありません。珍しい人に会いに来てください。

『ぐるり』プレゼンツ
南陀楼綾繁トーク十番勝負 その9
ハードスタッフ・ナイト〜先端的硬派雑誌の復活〜


出演
小西昌幸(『ハードスタッフ』編集発行人、先鋭疾風社代表)
南陀楼綾繁(ライター・編集者)


パンク、幻想文学、特撮、テレビドラマ、漫画、ブックデザインなど、さまざまな文化事象から自らが得たものを熱い筆致で語るミニコミ『ハードスタッフ』。1976年に創刊され1993年までに11号が発行された。それからナンと15年ぶりとなる最新号(追悼総力特集・林直人の夢の丘)の発行を記念して、編集発行人の小西昌幸さんに徳島から来ていただき、お話を伺います。小西さんのもうひとつの顔である「創世ホール」での仕事についても、たっぷりお聞きします。


日時 2009年1月19日(月) 18:30開場/19:00開始
場所 古書ほうろう
文京区千駄木3-25-5 1F
電話 03-3824-3388
http://www.yanesen.net/horo/


入場料 1000円(要予約、飲みもの持込み自由)
予約方法 
(1)ビレッジプレス「ぐるり」編集部
info@village-press.net 03-3928-7699
(2)古書ほうろう 店頭受付のみ


小西昌幸(こにし・まさゆき)
1956年、徳島県北島町生まれ。1976年からミニコミ『ハードスタッフ』を編集発行。94年から北島町立図書館・創世ホールで企画広報を担当。これまでに紀田順一郎種村季弘杉浦康平らの講演会を企画。また、海野十三の会にも所属し、『JU通信・復刻版』『海野十三メモリアル・ブック』を発行。徳島謄写印刷研究会事務局長、徳島アイルランド音楽愛好会会員でもある。