谷根千工房の流儀

朝8時起き。眠い。二冊の本の編集作業と、書評の本読み、ゲラ戻しなどをごっちゃにして進行。1時すぎに西日暮里のすし屋で鉄火丼。戻ってまたいろいろ。5時頃に自転車で出かける。谷根千本に関してある方と連絡を取らねばならないのだが、ヤマサキさんは「家は知っているけど住所は知らない」と云う。それで直接手紙を持っていくことになったのだ。しかし、教えてもらったあたりを何度も通っても、それらしき家は見つからない。電話で聞くと、「◎◎の斜め前にあるはずなんだけど、でも◎◎は表札出てないし」などとおよそ手がかりにならない情報を教えてくれる。結局、本人に電話してもらって、手渡すことができたが、「新しいマンション」のはずが普通の一軒家だった。もう、いつもこんな調子だ。


谷根千工房の人たちと仕事をしてすごいなと思うのは、23年もこの雑誌を続けていて(ヤマサキさん、モリさんはその前にも出版社での経験あり)、この人たちが一向に(職業的なプロという意味での)編集者らしくないというところだ。名簿を探すより直接出かけて行って話す方が早いとか、人に頼むよりは自分でやってしまう方が楽とか。最初はそれが普通であっても、多くの編集者は歳を経るうちにもっと効率的なやり方を身につけていく。しかし、彼女たちは確信的というよりは無意識にそうせずに、結果として「地域雑誌」にいちばんふさわしいやり方を続けている。この本の仕事をしていると、自分の中にこびりついた編集者の習性(その大半はつまらないものだ)が、ボロボロとこぼれていく体験ができる。それはとても快感なのだ。あ、云うまでもないが、もちろん彼女たちの誌面づくりのセンスは抜群です。職業的な編集者が束になってもかなわないぐらいに。


6時半に〈ブーザンゴ〉で国書刊行会のTさんと会う。今月末に米子で行う調査についての打ち合わせ。10月刊行開始の『定本 久生十蘭全集』全11巻のパンフレットをもらう。全20ページで推薦文+過去の十蘭讃+年譜+全巻内容という構成。間違いなくあとで価値が出る内容見本だ。もちろん中身もスゴイ。三一版全集に未収録のものが多いとは聞いていたが、ほぼ2倍の収録量。未収録のものは色字で示されているが、巻によってはまるまる未収録だけというものもある。ぼくは三一版と教養文庫のセレクションを持っている程度だが、この全集には心惹かれる。1巻9975円(税込)は厳しいが、年4冊配本だからなんとかついていけるかも。問題は置き場所だな。ちなみに、こんなブログがありました。「久生十蘭オフィシャルサイト準備委員会」http://blog.livedoor.jp/hisaojuran/


そのまま残って、8時からいつもの茶話会。12、13人ぐらい集まる。今日のお話は東京新聞のMさんで、新聞の出版広告について話してくれる。いわゆる「サンヤツ」広告を見るのが好きなのだが、並べ方や広告のつくり方にそんな強固なルール(あるいは慣習)があるとは知らなかった。一同、ビックリの体。貴重な資料も見せていただく。30分程度ではもったいなかったかな。もっとじっくり聞きたいテーマだ。11時に解散して、ウチに帰る。


昨夜に続き、DVDでマーティン・スコセッシ監督《ノー・ディレクション・ホーム》(2005・米)を観る。ボブ・ディランのドキュメンタリー。2枚組で200分以上ある。ぜんぜん興味を持ってなかったけど、周りでこの映画観ている人が多いので。キャプションが少ないし、曲の歌詞も訳してないのでよく理解できたとは云えないが、おもしろかった。フォークからロック調の曲に変えて以後のファンからの非難が凄い。「客はディランが好きだけど、していることは好きじゃないんだ」という発言あり。マスコミからの取材もめちゃくちゃに増え、パパラッチに囲まれたディランがカメラで彼らを写し返すシーンもあった。いまハリウッド俳優がやってる手だ。自分の進む道が見えすぎている者の孤独、という点で、『hon-nin』の樹木希林インタビューを思い出す。オレは凡人でつくづくヨカッタとも。