ミロシュ・ノルを2冊並べて

kawasusu2008-04-13

8時起き。まだ雨が降っているし、ちょっと肌寒い。昨日のスープと旬公がつくったフレンチトーストで朝食。歩いて西日暮里へ。ゲラが2つ届いていたので、校正をする。チェコの絵本専門のオンライン古書店〈クリチカ〉(http://kulicka.ocnk.net/)から、OTA SAFRANEK『Bosi rytiri』(SNDK,1958)が届く。先日、四谷三丁目の〈だあしゑんか〉で表紙を目にして、コレはほしい! と思ったのだった。あのときマスターに、この本のイラストを描いているMILOS NOLL(ミロシュ・ノル)を初めて見るなんて答えてしまったが、ウチに帰ったら、ノルがイラストを描いたKARL VEKEN『pripad VIKTOR』(SNDK,1961)が目につくところに飾ってあったのだった(以上のチェコ語表記はアクセント記号を外したいい加減なものなので、そのまま引用しないでね)。2冊を並べて悦に入る。 


〈クリチカ〉からの荷物には、4月25日(金)〜5月11日(日)に池袋〈P’パルコ〉で行なわれる「Small Village of Czech Culture」のチラシも同封されていた。シュヴァンクマイエルの版画、チェコの絵本、アニメ、音楽CD、おもちゃなどを一堂に集めた一大チェコ・フェアらしい。うーん、きっと高いんだろうけど、行けば思わずナニか買ってしまいそうだ。


みすず書房から、田中眞澄『ふるほん行脚』(2400円)をいただく。『みすず』に連載されていたものだが、ぼくはあまりいい読者でなくてブログに不満を書いたこともある。まとまったものを読んで、その印象が変わるといいなあ。


このところ、必要あって『森銑三著作集』を拾い読みしていた。いずれ読み返すときのために、備忘録代わりのメモをしておく。まず、『思ひだすことども』(続編・第十五巻収録)の第一部「十八 簡易生活を続ける」より。


加賀翠渓の「洗雲亭文庫」の整理を柴田宵曲と行なった後、それが都立日比谷図書館に入った。それを仲介した謝礼にと当時としては大金の一万円を贈られた森銑三は、それをどう使うか考えた。「その一は、これまで行かれなかつた、離れた土地の図書館を訪うて、書物を見せて貰ふことだつた」「その二は、まだ版になつてゐない先哲の遺著の内から、手頃のものを選んで、私版として刊行することだつた」「第三は、小さな個人雑誌を出すことであつた。名前は『古人』としよう。そして発行所は、個人社としよう。大体私一人で書くこととする。時には宵曲子に応援を請うてもいい。さうすれば、一回分の原稿くらゐはすぐに出来よう」。しかし、そのいずれも実現しなかった。


第二部「十一 よき友宵曲子」。洗雲亭文庫の整理のため柴田宵曲と一緒に加賀亭に通う。「昼は加賀さんの一家の人達と、一緒に食事をするのだつたが、不思議なことには、宵曲子も私も漬物が嫌ひで、加賀さんが時々女中さんに、こちらへは、漬物を出すんぢやないよ、などと采配を振られるのがをかしかつた」。ココを読んで、こないだの月の湯の打ち上げで、退屈くんと魚雷さんが「漬物が嫌い」というハナシで盛り上がっていたのを思い出した。同「十六 麻布での古本即売会」。井上通泰と一緒に行った即売会で、古本をあさっている宮武外骨を見たこと。


同巻の「同人雑誌ももんが」より。「雑誌屋の店頭に山と積まれてゐる雑誌といふ雑誌は、悉く商品化してゐる。読者の鼻息を窺ふことに汲々としてゐる。だからそこに同人雑誌の存在の意義の生ずることとなるが、その同人雑誌にして、商品雑誌の模倣をこれ事としてゐるもののあつたりするのだから、見つともない」。その次に、「三古会」「三古会のことども」。気楽な会が長年にわたって続いていく様子がいい。


正編の第十一巻に「諸家の文庫とその蔵書」。第十二巻、「人物研究雑感」。〈人物研究十則〉を挙げる。「古書と共に五十年」「私の読書生活」「過去を語る」(『思ひだすことども』の原型)「重厚なる都会人柴田宵曲氏」「読書人柴田宵曲」「宵曲居士」などの回想も収録。「今一人の江戸川乱歩氏」は、森銑三目白台の大道義塾にいた頃に出会った辻村義介について。彼には江戸川乱歩というニックネームがあったという。


夜は〈なってるハウス〉で、三上寛や渡辺勝らが高田渡の歌をうたうライブがあり、行くつもりでいたが、夕方にサイトで確認したらなんと5時スタート。もう始まってるじゃないか。いつもは8時に行っても始まっていないのに……。5時間ぐらいやるとなると、疲れている体にはちときつい。見送って、〈ときわ食堂〉でチューハイ。ウチに帰り、書評の本など読む。