ポケットに売上とスリップを

9時起き。眠い眠い。1時半に出て、神保町の古書会館へ。「ぐろりや会」で、高木治江『谷崎家の思い出』(構想社)400円、『子どもの館』1979年12月号(瀬田貞二氏追悼)200円を買う。後者の追悼文は『旅の仲間 瀬田貞二追悼集』に未収録のものもあり。受付で名札をもらい、7階に上がって月の輪書林高橋徹さんと会う。来年やることの打ち合わせ。前から考えていたコトなので、気合を入れて頑張ろう。


〈人生劇場〉の横丁を入り、〈いもや〉で天丼。そのあと〈書肆ひぐらし〉のヨコを歩いていたら、向こうから『彷書月刊』の皆川さんがやってくる。阿佐ヶ谷から引っ越してきた〈石田書房〉の場所を教えてもらい、そっちに行くが、オープンは明日だった。隣の〈がらんどう〉を覗き、『彷書月刊』の編集部へ。今日発送なので、掛け値なく足の踏み場もなく、丸い体型の人間には居場所がない。最新号(古本マンガ特集)をもらって出る。


九段下まで歩いて、東西線に乗る。早稲田の〈ブックオフ〉に寄るが収穫なし。穴八幡周辺は、一陽来復のお守りをもらいにきた人たちでごった返している。古本市2日目を開催中の〈立石書店〉へ。3棚あった南陀楼の「けものみち」コーナーは2つにまとめられ、もうひとつに来年の暦が並べられている(コレがよく売れたみたい)。しばらく外で立っていたが、やたらと寒かった。


30分延長して5時半に終了。ぼくの本は牛イチロー先生に買い取ってもらうので、そのままにして、他の店の箱詰めをちょっと手伝う。そのあと、売上金の贈呈式。「けものみち」は、スリップと現金を入れた袋が他よりもでっかい。ナカを開けると、200枚はあろうかというスリップの束が。売上も目標額よりも1・5倍上回った。これで正月がしのげます。みなさん、ありがとうございました。全体の売上も2日でこれならスゴイという額だった。古本屋内古本市というアイデアをひねりだしたセドローくんと、それを受け入れ、自分の店のスタートを飾った牛イチロー先生はエライ。彼らの柔軟な発想と実行力には、部外者のぼくも助けられている。これからも早稲田古書店街の名コンビ(三楽のアキヒロも入れれば三擬獣)として、活躍してくれるコトだろう。それから、店番をしてくれた人たちにも感謝。とくに退屈男くんの接客上手には感心した。いつかは店持てよ。


〈和民〉で一次会のあと、二次会の〈寿限無〉で学生たちの恐ろしき酔態に完敗し、みんなより一足先にウチに帰る。ポケットには売上とスリップの束が収まっている。疲れたけど、とても暖かい気持ちである。


では、最後に今夜も「路上派少年遊書日記――1981年・出雲」を。

1981年3月26日(木)
★町に出た。が、アツタ*1は休みで、書店にもいいものなしで、パラオ*2に行った。すると、いいものばっかりだった。出雲という町はどういうところだろうか。


★今日買った本
『軟派にっぽんの100人』山藤章二(NO,172)440円、集英社文庫
星へ行く船新井素子(NO.173)210円、集英社文庫
『コップ一杯の戦争』小松左京(NO,174)240円、集英社文庫
『本邦泰西ヌード縁起』豊田有恒(NO.175)340円、角川文庫
SFマガジンベスト(1) 冷たい方程式』トム・ゴドウィン他/伊藤典夫浅倉久志編(NO.176)400円、ハヤカワ文庫SF


山藤章二は1冊目、新井素子は2冊目、小松左京9冊目、豊田有恒の文庫本は同じく9冊目、『冷たい方程式』には6作品がはいっているアンソロジーである。かなりの金を使ってしまった。ああもったいないもったいない。


当時の読書は、文庫本がメインだった。SF好きだが、ハヤカワや創元を集めまくるほどマニアではなかったぼくにとっては、収録作品数の多さから角川文庫がいちばん贔屓だった。その次が、ジュニア向け小説を多く出していた集英社文庫だったようだ。いまでは、集英社文庫の本を買うのは、年に1冊あるか、ないかなのだが、当時のぼくの波長に合っていたようだ。(続く)

*1:出雲市ではほぼ唯一のレコード店

*2:出雲市初のショッピングモール。書店やレコード店が入っていた。出雲中の中高生がたむろするスポット。現在でも営業している。ある資料(http://www.jcsc.or.jp/data/pdf/list_of_shopping_centers200602.pdf)によれば、1980年9月にオープンしたとあるから、この頃はまだできたてだった。