呂敬人さんに刺激を受ける

朝8時半に目覚ましが鳴るも起きられず、10時すぎに起きる。仕事にかかるも、どうも調子出ず。「書評のメルマガ」を途中までまとめてから、本を読んで過ごす。塩山芳明『出版業界最底辺日記』(ちくま文庫)の3刷目が届く。1万部突破である。


5時に出て、旬公と神保町へ。一週間ぶりだ。このところ、出不精に拍車がかかっている。雨が降り始める。〈書肆アクセス〉に寄ってから、〈竹尾〉見本帖本店へ。中国のブックデザイナー・呂敬人(リュ・ジンレン)さんの講演会。司会は杉浦康平さん。自身の手がけたブックデザイン作品から、国家図書館が所蔵する貴重書、中国の若手デザイナーの作品、学生とのワークショップなどの写真を、次々に見せつつ話をする。通訳がまだ若い学生さんだったので、日本語がわかりにくくてちょっともどかしいが、呂さんが云いたいことは充分に伝わってくる。また中国や台湾に行って、いろんな本を手にしたくなった。『本とコンピュータ』時代にやり残していて、まだやりたいことがたくさんあるコトを呂さんの話で思い出した。アジアの各地に、呂さんや杉浦さんのようなヒトがいるのだと思うだけで、とても元気が出るし、彼らに及ばずないまでも、自分は自分のできることをやらなければと励まされる。「華彩書香(はなやぎ、いろめき、かおりたつ、しょもつ)−当代中国的書籍設計ー」と題する、竹尾での呂敬人展覧会は、12月22日(金)まで開催される。杉浦さんが何度も強調していたように、ヨーロッパ式の造本に慣れてしまっている現在の日本人がショックを受ける作品に出会えるハズだ(http://www.takeo.co.jp/web/shop/showcase061128.html)。


3年前に北京に行ったときにお世話になった呂さんに挨拶。旬公やぼくの著書をお渡しする。杉浦さんとも久しぶりに話す。竹尾を出て、小川町のカレーうどん屋に行くも、すでに終っていた。少し戻ったところに最近できた中華料理屋に入る。派手な装飾で足が遠のいていたが、そこそこウマかった。帰って、溜まっていた新聞と雑誌を縛る。今年から再生紙は回収が隔週になり、今年は明日で終わりなのだ。出さないとマズイ。


では、最後に今夜も「路上派少年遊書日記――1981年・出雲」を。

1981年3月16日(月)
★昨日作ったクッキーを3人に渡す。
見つからないように入れるのに苦労をした。


★今日合奏の時「贈る言葉」をやった。*1
卒業にはふさわしいいい曲だ。
新聞に「君が代」の代わりに「人として」を歌わせる中学があるとあった。
それに対して、テレビドラマの局などを歌わせると、ゲンシュクなる式が乱れるなどとの反対があったそうだ。
くそ、テレビドラマの曲でもいいものはいいのだ。
自分たちは「君が代」しか受けつけないというのか。そんな古いものにしばられて「伝統」などと言っている。ゲンシュクがどうした。めでたい式をわざわざ回り道してゲンシュクにすること【理由】など、一つもないではないか。


3月17日(火)
★卒業式にげんめつした。祝辞ではやたらとむつかしい言葉をつかって、わからなければ、なんにもならないのに。自分でもわかっていないものだから、原稿を棒読みである。
日の丸に礼などして、戦争中じゃないんだ。古くさく、なにもない「伝統」にしばられて、何ひとつ変えることのできない、そんなのはいやだ。なぜ変えないのか。


★今日帰りに、1000円を拾って板倉(よっき)といっしょに届けにわざわざ派出所まで。10月ごろになればこの1000円、自分のものになるそうだが、10月まであと何カ月ある?


★僕の作ったクッキーが大人気である。みんながうまいうまいと言う。本当言ってあれは半分は母上が作ったのに。でも、まあわるい気分ではないな。河上は料理の才能があるなどと言われる。槙原がクッキーを作って来たので食べさせてもらう。あまりうまかったのでおどろいた。あいつも一応のところ、女なんだなあ。


なんだか、卒業式について熱く語っているなあ。こんなに熱血漢だったっけ?(続く)

*1:この前後に海援隊が好きになり、[望郷篇][風雲篇]などのアルバムを買っている。