〈なってるハウス〉で[月の鳥]を聴く

昨夜、ウィリアム・モール『ハマースミスのうじ虫』(創元推理文庫)を読了。1955年に書かれ、東京創元社の叢書「クライム・クラブ」で初訳されたものの新訳だ。やや盛り上がりに欠ける(しかし後半への布石としては重要な)前半をしのげば、追う者が追われ、覗く者が覗かれるという立場の逆転が起き、緊張感あふれる描写が続く。「犯罪者コレクター」キャソン・デューカーが主人公のもう一作(『さよならの値打ちもない』。1959年に「クライム・クラブ」で翻訳刊行)も読んでみたい。川出正樹による解説は、作者ウィリアム・モールについてきわめて丁寧に教えてくれる。モール(本名はウィリアム・ヤンガー)の文才を見抜き、作家デビューを手助けした義父が、デニス・ホイートリーだというのはビックリ。大学に入ったとき、西荻窪の古本屋でホイートリーの『黒魔術小説傑作選』全7巻(国書刊行会)を買ったのがイイが、その後、怪奇小説に興味がなくなり、けっきょく読まないまま古本屋に売ったコトがある。


今朝は8時半起き。書評の本を読む。苅谷剛彦増田ユリヤ『欲ばり過ぎるニッポンの教育』(講談社現代新書)は、ふだん読まないタイプの本だが、主張が明快でいちいち肯ける。立場の違う二人の対談形式というのも、この場合、成功している。新書という器にふさわしい本。12時に出て、京浜東北線で山手へ。商店街を歩き〈食堂やまて〉という店に入る。外見はまるっきり大衆食堂だが、ナカにはいると、洋食屋っぽい(すこし上品っぽい)のでとまどうが、ご飯の器がプラスチックだったりする。ハンバーグ定食を頼むが、きちんと手をかけてごくフツーにつくった味で、美味しかった。〈古書自然林〉の百円均一で、八木義徳『家族のいる風景』(福武書店)を。そのあと、S校の図書館取材。4時前に終了。帰りの京浜東北線では眠ってしまう。


上野に出て、銀座線で浅草へ。〈ROX2〉の〈TSUTAYA〉に初めて入る。点数が多く、ディスプレイもいい。映画好きの店員が多いようだ。どうも平板な印象のある上野店よりもコッチを利用したくなる。DVDを数枚借りる。隣の〈リブロ〉で来年の手帳を購入。


入谷駅まで歩き、旬公と待ち合わせて、そば屋でたぬきそばとミニカツ丼のセットを食べる。〈なってるハウス〉に着くとまだリハーサル中だったので、〈合羽橋珈琲〉で時間つぶしてから戻る。今日は渋谷毅(p)+石渡明廣(g)にゲストが外山明(ds)。渋谷・石渡の[月の鳥]というアルバムの発売記念ライブだ。『ぐるり』の五十嵐さんや、もと『本とコンピュータ』の同僚である四釜裕子さん、『gui』の岩田和彦さんも来る。四釜さんは、このアルバムのジャケットデザインを手がけている。紙ケースに銀と白が印刷されていて、広げると月と鳥が見えるという仕掛け。ウチでは「四釜のねえさん」と呼んでいるが、そのマイペースぶり、独立独歩ぶりは相変わらずだ。五十嵐さんからは、ビレッジプレスの新刊、大塚まさじ『月の道標』をいただく。


ライブはアルバムからの曲を中心に、いつもよりやや短めに。1セット目にやった曲を2曲ほど2セット目でも演奏したが、二度目に聴くほうがおもしろく聴けた。石渡さんはクールに、外山さんは立ったり座ったりしながらベルやオモチャまで動員していろんな音を出し、渋谷さんは二人がどう出ても自然に対応して、演奏していた。タイトルチューンの「月の鳥」のメロディがとてもイイ。


終って渋谷さんに挨拶すると、「ナンダロウさんのブログ読んでるけど、最近は本のハナシばかりでライブハウスにあまり行ってないんじゃないの」とおっしゃる。まさに図星で、今週も4日のピットイン、昨日のなってるハウスと渋谷さんのライブを逃しているし、ほかのライブもあまり行っていなかった。少し行動力が鈍っているのかもしれない。でも、こうして渋谷さんの音をナマで聴くと、やはりライブはいいなあと思うのであった。鶯谷まで歩き、山手線で帰る。


「日本の古本屋」メールマガジンで、先日亡くなった〈ペリカン書房〉の品川力さんの追悼特集を組んでいる。寄稿者は青木正美上笙一郎紅野敏郎、堀切利高、八木福次郎の諸氏。堀切さんの一節を引く。

しばしば訪ねるうちに、いつしか店の奥の狭い書斎に上がって品川さんの話を伺うようになった。友人の福田久賀男の話では、あの書斎に上がれるようになったら一人前と認められたのだそうで、「君も上がれるようになったか」と言われたが、それには品川さんも知る寒村及び寒村を巡る人々が、共通の話題になって二人を結びつけてくれたように思う。お蔭で『谷中村滅亡史』の原本も、品川さんから譲り受けられるようにもなった。


福田久賀男さん(この人も亡くなった)の「君も上がれるようになったか」という一言に実感が込められている。この追悼文はサイトでも読める (http://www.kosho.ne.jp/~yomimono/tokushu/pelican/horikiri.htm)。『古書月報』用の記事なのだろうか。これまでは業界内部にしか流通していなかった月報だが、このようにして一般人も読めるようにしてもらえると、ありがたい。


では最後に、今夜も「路上派少年遊書日記――1981年・出雲」を。

1981年3月2日(月)
★期末テスト一日目。わりあいうまいことできた。英語のテストをやっているとき、I(一番きらいな奴)の名を英語のKenにおきかえて、「ケンは馬鹿です」とかつくり、それを本人に見せてからかうという考えがうかんできた。この男、自分はえらいと思っていて人になんでも自まんするいやな奴。今までの中で一番やなやつだ。


参考までにつくった言葉を。
◎Are you crazy?(気はたしかですか?)
◎Ken went mad.(ケンは気がくるった)
◎Ken is a very foolish boy.(ケンはとても馬鹿な少年だ)
◎We made a fool of Ken.(わたしたちはケンを馬鹿にした)
◎How foolish is Ken!(彼はなんて馬鹿なんでしょう)


実際これぐらいやらんと気がすまん。
あいつは人間として最低の心の持ち主だと思う。他の人もみんなきらっているが、僕もあいつだけはきらいだ。


ところでなぜ僕はこんなくだらないことをよく思いつくのでありましょうか?


東京創元社より、出版目録、でっかい袋にはいって送ってくる。
これはこれからの役に立つ。
ずっとつかわしてもらうことにしよう。
創元推理文庫の中には読みたいものがずらっとならんでいる。


I(本文では実名)のことをどうしてそこまで嫌いだったのか、いまとなっては、よく判らない。周囲の連中の尻馬に乗っていただけかもしれない。しかし、嫌いだからといって、英文までつくってしまうとは、やっぱりヒマな中坊だったんだなあ……。