体のなかの出雲弁

ウチから数歩しか外に出ず、きわめて地味な一日。『未来』の長谷川摂子「私の母語 ことば・ことば・ことば3」を読む。出雲地方(平田)出身で、出雲弁について書いている。

出雲出身の親戚縁者に会えば、大東京の山手線のなかでも私は出雲弁になっている。そのときの解放感は、靴を脱いで裸足で草原をかけめぐるような気持ちだ。そう、共通語は私にとってはハイ・ヒールをはいているような緊張感をどこかで強いているのである。


コレを読んで思い出したのだが、大学に入って1、2カ月した頃、高校の同級生と酒を飲んだ後、酔っ払って地下鉄の向こう側とこっち側のホームで、お互いに出雲弁の卑語を叫びあったことがある。二人とも、上京して必死に標準語を習得しようとしていた時期で、そのストレスがそういう行動を招いたのだろう。


長谷川さんは「ひどく疲れたり、風邪をひいて熱が出たり、酔っ払ったりすると、たがが外れて出雲弁が体の奥から抑えがたく露出してしまう」と書いているが、ぼくは、ヒトに向かって話す言葉は標準語でも、モノを考えたり、独り言を云ったりするときには出雲弁でなければならない、と長い間、自分にいい聞かせていた。そうしないと、本当に東京に染まってしまうと。でも、結婚してからは、旬公との間でしか通用しない言葉が、いわばウチのなかの「方言」となったので、出雲弁の呪縛は少しほどけつつあるようだ。


で、まあ、今夜も「路上派少年遊書日記――1981年・出雲」を。

1981年2月27日(金)
★今日も外は寒し。
各地で水がとまり、水道管ハレツ。


2月28日(土)
★エレクトーンの前に、書店へ行く。
そうしたら、新書判の本がおいてあるところ(少しやらしい一画)に、どうみても小学5、6年ぐらいの女の子、3、4人が、本を見て、男の体がどうだの、射精がどうなのと大声で話していた。
僕ただただあきれるばかり。*1
いったいどうなってんの?


★今日買った雑誌
『Sage』3月号 160円
少年ビッグコミック』No.5 180円
今号も『少年ビッグコミック』おもしろい。『みゆき』はいつ読んでも最高!


このごろいい本ばかり、それも高いやつが出ている。買いたくても買えない。

*1:この一文には、かんべむさしが大学時代に書いていた「メモ・ノート」の文体からの影響がうかがえる。『むさしキャンパス記』を参照。