他人の言葉で

なんかいろいろあって、自分のことを書くのがめんどくさいので、今日は他人の言葉で書きます。


うらたじゅんさんの日記より。「月刊PR誌『未来』に、先月から香里団地のことが連載されてます。(略)1966年秋、サルトルボーヴォワール多田道太郎の住む枚方市香里団地へやってきた。何故、多田たちはサルトルボーヴォワール香里団地に招いたか?」。これは内藤寿子「サルトルボーヴォワール、団地へ行く 〈事件〉は誘惑する 1」のことだ。うらたさんが住んでいる枚方の団地には以前泊めてもらったコトがあるが、まさかあれが香里団地? と思ってうらたさんにメールすると、次のような返事が。


香里団地とは、私が5歳以降育った場所です。私が住んでたのは19歳までですが、親はずっと住んでた。私や岡崎さんが在籍した枚方四中も香里団地の中の学校」。おおそうか、と未來社の小柳さんに伝え、ついでに岡崎さんにもその号の『未来』を送ってもらった。ちなみに、著者の内藤さんは以前、ウチの近所にお住まいで、「内藤」と「内澤」で名前が似てるせいか、なんどか郵便物が誤配されたことがある。旬公はこないだ行ったクレイジーケンバンドのコンサートで、その内藤さんとご一緒したとのこと。世間は狭い、というべきか、我々がヘンな世間に生きているというべきか。


書肆アクセス〉で、岡林隆敏編著『上海航路の時代 大正・昭和初期の長崎と上海』(長崎文献社)を買う。「大正12年(1923年)2月11日、長崎・上海間に上海航路が開設され、長崎丸・上海丸が就航。上海と長崎は26時間で結ばれた。たくさんの日本人が蘇州河左岸の虹口地区に住んだ。本書は、古い写真、新聞記事、地図、絵葉書など掲載し上海航路の時代を再現した」(アクセスのブログより)。図版たっぷり、データたっぷりの素晴らしい本。海野弘さんと打ち合わせで会ったときにお見せしたら、感心されていた。


海野さんの右文書院からの三冊目、『歩いて、見て、書いて――私の100冊の本の旅』は、もうすぐ校了で、11月半ばには出る模様。あっと驚くゲストもいるぞ。海野さんと同じ世代である元岩波書店の大塚信一氏(最後は社長)の『理想の出版を求めて 一編集者の回想1963-2003』(トランスビュー)ももうすぐ出るようで、「(平凡社で同僚だった)嵐山(光三郎)くんの『昭和出版残侠伝』(筑摩書房)といい、回想の時代なのかもねえ」とポツリ。


『モツ煮マニア』にも載っている、町屋の〈小林〉へ。串煮込みがウマイ。一人で飲んでるオヤジがニュースを見ながら。店主を相手に居酒屋政談を一席。「ほれ、あの、安部政権が……、だから、アレだろう、不況でホームステイが……」。店主は冷静に「ああ、ホームレスね」と受け止める。勘定を払ってでるときに、店主から「この店、インターネットかテレビで見ました?」と云われ、「いや、三度目ですよ」と答える。でも最初はたしかにサイトで見て来たんだから、その通りに答えればよかったのだ。インターネットで見てくると、自分の目で選んでないからと引け目に思うのも、なんかヘンな話だ。好きで通ってるんだから、堂々と振舞えばイイんだよな。


今度の新宿展の目録で、S書店のページにすさまじい誤植が。「柳田邦雄」「子母沢官全集」なんて誤植はカワイイほうで、「鎌倉はその日 亀崎一雄」「あの人と歩く本屋 小沢信幸」「吉岡章太郎随筆集」「尾崎一雄―人々」「清水町善生 小沼」。変換ミスとも読み間違いとも違う、独特の間違え方。なぜ『あの日その日』が『鎌倉はその日』、『あの人と歩く東京』が『あの人と歩く本屋』になるのだろうか……? これで正しく注文できたヒトはエライ。


徳島〈創世ホール〉の小西昌幸さんのミクシィ日記より。じつに真っ当なイベント論だと思う。

■最近【北島天水ナイト】と、【アイルランド音楽の午後/シ・フォーク・コンサート】の反響で、次のようなものがあった。


■【北島天水ナイト】に関して。「自分は徳島出身者だが、よくもあんな田舎でそんなことが実現したものですね。近くだったら行ったのに」。特に目ぐじらを立てるようなことではないと思われるかもしれないが、苦労に苦労を重ねて実現にこぎつけて、ジェット・コースターのような思いで当日を乗り越えた企画当事者としては、気楽な言い方、何気ない書き込みの行間から、各種イヴェントは都会で開くものであって、田舎者はそれを苦労して見に行って当たり前、というような思い上がりがどこかにじみ出ているように感じられてならないのである。無自覚な覇権主義とでもいおうか。


■同様に【アイルランド音楽の午後】に関しても、「ぜひ東京でもやってください」「もう一度見たい、近畿圏なら行くのに」といった種類の反響を見かけた。もちろん企画者としては、この種の反響を痛快に思う。


■だが、うんと厳しく言わせてもらうなら、そんなに東京で見たいなら、お前が企画しろよ、そしてきちんと情宣をやって実現してみろよ、実行委員会を10人ぐらいで作って、お金を出し合って、1年かけてじっくり取り組めば出来るよ、ちったあ自分の人生を削ってみたらどうなんですかい、あーん、という言葉が出そうになる。モチロン素朴なファン(観客、聴衆)の素朴な文章に過ぎないものであるし企画者の言説ではないのだからそこまでいうとかわいそうなのだが、どこか、田舎を見下しているように思えるのだ。


■私が「同志の皆さん、万難を排して結集してください」というとき、「そうしないと次は見れませんよ」という思いを行間に込めている。


他人の言葉の切り貼りならラクだろうと思ったら、普通に日記を書くよりも時間がかかってしまった。