bikkeの声が空気を震わす

朝8時半起き。東京新聞の朝刊1面に「銀座の背丈56メートルまで 景観問題で条例改正」という記事が。銀座の中央通り周辺の建物は、1998年の条例で56メートルまでの高さと定められたが、実際には「抜け道」があったという。今回の条例改正は、松坂屋が最高で190メートルになる再開発を計画したことへの防御で、例外をなくし厳密に56メートル以内にするとのこと。松坂屋を抑えるためだけに条例を改正したというのはスゴイ。銀座の景観を守ることは賛成だが、有楽町駅前の西武、阪急や建築中の丸井のあたりは、56メートル規制がなく、なんとなく現状追認的なカンジがある。


今日から「谷中芸工展」なので、自転車で少し回ってみる。といっても、時間が早くまだギャラリーは開いていなかったので、〈タムタム〉で佐久間さんの写真展を見たぐらいで、帰ってくる。今年で14回目を迎えたという。「不忍ブックストリート」などまだまだヒヨッコである。街イベントの先輩として学ぶところは多い。ただ、芸工展って、いつもイツ、ドコでどんな催しをやっているかが見えにくいんだよねえ。統一的なポスター、チラシがなく、サイトにも情報があまり載っていない。200円のパンフレットを買って、はじめて全貌が判るという具合で。地元に住むぼくがそうなのだから、外から来たヒトはもっと判りづらいのではないか。もっとも、なんでもかんでも情報をのっければイイかといえば、そうともいえない。難しいところだ。


原稿の構成などをやるも、なかなか取り掛かれず。諦めて4時ごろに出かけて、吉祥寺へ。〈リブロ〉で資料本を数冊買う。なんだかすごく、フツーの本屋になっちゃったなあ。ミステリ専門書店〈TRICK+TRAP〉に行ってみようと思い、中道通りへ。前にもこの辺をうろついて見つからなかった。たしか、郵便局が目印だったと思い、それを通り過ぎてしばらく歩くもそれらしい店はない。商店街が終わってしまったので、引き返す。けっきょく、見つからなかった(あとでサイトで見ると、郵便局の前のマンションの2階だった。看板を見落としたのか?)。なお、この店のブログ(http://blog.livedoor.jp/jigokuan/)に、いしいひさいち小林信彦菊池寛賞を受賞したというニュースが載っていた。いしいひさいち菊池寛。すごい取り合わせだ。


先日、本店が閉店した〈いせや〉の仮店舗ができたというので、行ってみる。近くまで行ってもよく判らず、『ぐるり』の五十嵐さんに電話して教えてもらう。どういえばいいのか、北口を出て、ガード下を西荻方向に歩き、しばらく行って北側に歩くとある。二階建てで、1階が立ち飲みと椅子席だが、両者は混合している。焼酎とモツ煮。雰囲気はべつに悪くないが、南千住や三ノ輪の安い飲み屋に慣れてしまうと、あえてこの〈いせや〉でなければという必然性は感じられない。地元のヒトにはなくてはならない店なのだろうが。なので、1杯だけ飲んで出る。


MANDA-LA2〉の前で、〈古書ほうろう〉の宮地健太郎さんと待ち合わせ。旬公と行くつもりだったが、クレイジーケンバンドのコンサートに日和ったため、代わりに誘ったのだ。SAKANAのライブはわりといつも開場が遅れるのだが、今日は6時半ジャストに客入れが始まった。早い番号の前売り券を買っておいたので、テーブル付きの椅子に座れてよかった。ライブは、SAKANAからはじまる。いつもほどはダラダラせず、10曲ぐらいやってくれた。休憩を挟んで、JBへ。ライブでbikkeを見るのははじめてだが、声がすごくよく響く。名曲「ヘブン」などbikkeの声でビリビリと空気が震えるようで、が最高だった。JB版の「坂をのぼる」もナカナカ。そのあと、SAKANAが加わり、4人で互いの曲を一緒にやる。ポコペンが歌うと、「at home」もブルースになる。ポコペンと渕上純子の性質も歌い方も真反対といっていいと思うが、その声の絡み合いが、不思議といい感じだった。全員ヨカッタが、なんといっても今日は、bikkeのボーカルが素晴らしかったな。今度、bikkeのバンド・ラブジョイのライブにも行かねばなるまい。


終わって、渕上さんに挨拶。ヨコに加藤千晶さんもいらしたのだが、挨拶しそびれてしまった。名乗ればよかったのに、とあとで思う。ラブジョイのファースト・アルバム[妙]を買い外に出るが、さっき買った本を忘れたコトに気づき、取りに戻る。中野で宮地さんと別れて、ウチヘ。


小林信彦『決壊』(講談社文芸文庫)を読んだ晩鮭亭さんが、以下のように書いている(http://d.hatena.ne.jp/vanjacketei/20061014)。

この「決壊」について南陀楼綾繁さんが「ナンダロウアヤシゲな日々」で《容子の父が出雲地方の出身であることも、修には自分たちの将来にとって暗示的なものに感じられた》の一文を意味不明としていたが、これは素直に“出雲=出雲大社=縁結びの神様”と考えて、婚約者の容子と結婚し、容子の家のような家庭を構えることへの暗示を修が感じていると読めばいいのかなと思ったのだが、どうだろう。


うーん、そうだろうか。この部分は『路上派遊書日記』にも収録しているが、「意味不明」と書いたあとで「山陰だから暗いってコトか?」としたのは、その前の節にあった、「容子のなかにある暗い部分」という表現を受けている。それは短絡だったにしても、小説のなかで「出雲地方」がどんなところかがまったく示されていないのに、“出雲=出雲大社=縁結びの神様”と読んであげるコトができるのは、よほど作者思いの読者だけなんじゃないのかなあ。少なくとも、出雲大社が出雲地方の一部でしかないコトを知っている地元出身のぼくには、ずいぶん唐突な感じがする。年譜を見ると、小林信彦の奥さんは松江市出身であり、やっぱり出雲大社とは直接つながらないように思うんだが。……などと細かいところで反応してしまうのは、東京についてのいい加減な記述を読んで小林信彦が怒るのと同じ感覚なのかも。しつこいようだけど、小林信彦はこの小説の中で、容子の暗さと「出雲地方」を関連づけているように思えてならない。この小説を読んだ感想を、ほかの出雲出身者からも聞いてみたい。