「名前のない書評家」の死

8時半起き。ご飯に豆腐、ネギ、味噌汁をぶっかけて食べる。昨夜観ていた《機動戦士ガンダム》を最後まで観てしまう。なるほど、こういうハナシだったのか。旬公が「もうエヴァはいいや……」とつぶやく。これにて、南陀楼家の「2006年夏のアニメ祭り」は終了しました。


午前中は『進学レーダー』の図書館原稿。昼に〈サミット〉まで買い物に行き、〈稲毛屋〉でランチのとりカツ丼を食べる。午後は注を書く。ゲラを直しながら、ビデオで、ジャック・タチの《トラフィック》(1971・仏)を観る。ユロ氏ものだが、ココでのユロ氏はほかの映画と違って、けっこう働き者であった。


岡崎武志さんの日記で、書評家の「狐」こと山村修さんが死去されたコトを知る。肺がんだったとのこと。ぼくは、『本とコンピュータ』第二期第14号で、「書評者に『名前』なんか要るでしょうか」というエッセイを書いていただいている。吉祥寺の喫茶店で一度お目にかかっているが、とても紳士的な方だった。この文章の最後の部分を引用する。

書評者は伝達者だと思う。肝心なのは、本を閉ざして自己主張することではなく、本を開いて、そこに書かれていることを伝えることのはずです。  
伝える。じつに単純なことです。しかし書かれていることをどうとらえ、どう伝えるか、それが思いのほかにむずかしい。もしも伝えるべきことがうまく、十全に、いきいきと読者のもとに届いたならば、それが書評者にとっての幸せというものでしょう。  
そしてそのとき、書評文からは評者の名前などきれいに消えて、どこを探してもみあたらないはずなのです。それで、それだけで、いいのです。


このときの「狐」氏は「名前のない書評家」であることにこだわっておられた(本名も公開していなかった)。それが、今年7月に出た『〈狐〉が選んだ入門書』(ちくま新書)の著者名が「山村修」になっていて驚いた。この著者名の選択には、どういう意思が込められていたのか。それが知りたい。


5時に出て、神保町へ。ずいぶん久しぶりだ。〈三省堂書店〉で大森望豊崎由美文学賞メッタ斬り!リターンズ』(パルコ出版)、〈書泉グランデ〉で、塩山芳明『出版業界再底辺日記』が小さく紹介されている『ダカーポ』を買う。〈ディスク・ユニオン〉では、[二階堂和美のアルバム]と、フリクション[ライヴ・イン・ローマ]、そして中古で二階堂和美[たねⅠ]を買う。〈ぶらじる〉で右文書院の青柳さんに会い、前半のゲラを戻す。水道橋まで歩き、JRで上野に出て、〈TSUTAYA〉でビデオを返し、御徒町経由でウチに帰る。


晩飯(豚肉とニラ、モヤシの炒め)のあと、注書きの続き。一日に一月分終えるのがノルマで、この4日間はクリアしていたが、今日は調べることが多くて予定の本数が書けず。明日取り戻そう。〈高岡書店〉で買った『映画秘宝』10月号を見たら、柳下毅一郎の新刊レビューで、『出版業界再底辺日記』が取り上げられている。いつもと違って、読書日記形式で、この本も含めて数本紹介している。かなりホメてくれてますが、「残念ながら文庫に収録されているのは元本のほぼ3分の1で、いろいろと面白い逸話がカットされてしまった」のは、「毒舌過ぎてさすがに問題ありと判断」されたからではまったくない(まえがきをちゃんと読め!)。カットしたのはたんに分量の問題だし、元本刊行以降の7年間の日記が追加されているコトにも触れてほしかったぜ。