『地の果ての獄』再読

ウツウツとして進まず。そんな気分で、西村賢太『どうで死ぬ身の一踊り』(講談社)を読んだら、ますますダークな気分になった。精神衛生上に良くないけど、すごく面白くて最後まで読んでしまうトコロが、いましろたかしのマンガを想起させる(まったく資質は違うけど)。


先日、杉村悦郎さんからいただいた『新撰組永倉新八外伝』(新人物往来社)を昨日読み終わった。新撰組については、いくつかの小説で読んだ程度で、あまり思い入れがなく、永倉新八も名前を知っているだけだった。しかし、この本を読んで、きわめて魅力的な人物だと判った。新撰組を離脱したあと、米沢の戦いに参加。敗れた後は以前脱藩した松前藩に帰参する。その後、松前、小樽、浅草、樺戸、千住、小石川、小樽と移動し続ける。その間、新撰組の顕彰に力を注ぎ、1913年(大正3)には、小樽新聞に「永倉新八」という聞き書きが連載された。杉村さんの本は、明治維新以降の新八の動きを、資料をもとに丹念に追ったものだが、そこに織り交ぜられる、杉村家(永倉が婿養子に入った家)に伝わるエピソードがじつにオモシロイ。晩年の新八は、活動写真を見て、「長生きをしたので、こんな文明の不思議を観ることができた」と云ったそうだが、その息子の義太郎は新八の没後に小樽の〈公園館〉という映画館の経営者になったという。また、新八の最初の娘は女芝居の役者になり、近藤勇の娘は女義太夫になった。新撰組の遺族が二人も芸人になったというのが、フシギに興味深い。


ぼくは、新八が1882年(明治15)に、「北海道の樺戸集治監に剣術師範として招聘された」という事実に目をみはった。集治監はいわゆる監獄のこと。新八はココに1886年(明治19)までいたらしい。樺戸といえば、山田風太郎の『地の果ての獄』である。ずいぶん前に読んだので、新八が登場したかどうか、覚えていない。そこで、ちくま文庫版を買ってきて読み返した。この小説には、樺戸に看守としてやってきた有馬四郎助(のちに豊玉刑務所所長)を主人公に、教誨師・原胤昭、山本五十六の兄・高野襄、同志社大学の設立者・新島襄秩父困民党の井上伝蔵らが登場する。囚人や看守には、ご一新を境に天と地ほども立場が変わった連中がたくさん出てくるが、新八は登場しない。有馬が着任したのは1886年で新八が辞めた年だから、登場しないのか? しかし、山田風太郎であれば、多少の時間のズレが強引に処理して、この魅力的な人物を舞台に上げそうなものだ。ということは、風太郎は新八が樺戸にいた事実を知らなかったのか……? もっとも、別の作品(たぶん『警視庁草紙』)には登場するようだ。ついでに書くと、『地の果ての獄』にはアイヌに肩入れする梅谷十次郎という元幕府の御家人が登場するが、これは『新撰組始末記』の子母澤寛の祖父なのであった。


やっぱり、明治はおもしろい。久々に歴史物を読む楽しさを味わった。