「一箱古本市」店主の受付、開始しました

とくにキッカケはないのだが、その日の夜や翌朝に日記を書くのがめんどくさくなって休んでしまうと、そのまま数日書かずに過ごしてしまう。そうなると、数日間まとめて書くというコトを想像するだけでイヤになってしまい、また書かずに一日が過ぎる。これが更新ストップのパターン(「須雅屋の古本暗黒世界」http://d.hatena.ne.jp/nekomatagi/のごとく、1月5日でストップした日記を、29日だったかに再開すると同時に、6日から以降と、28日以前の日記を順次更新してるのは、非常にまれな例だ。っていうか、ここまで詳しくメモとってたんだったら、その日のうちにアップしてしまえばイイのにとも思うのだが……)。で、今日もどうしようかなーと思ってたけど、〈書肆アクセス〉の畠中さんがつぶらな(丸い)瞳で「ブログがお休みで寂しいわあー」と云ってくれたので、あっさり再開しちゃう。休んでいる間に25万ヒットに達したみたいだし。


この数日は日々の雑用を過ごしながら、三鷹の〈文鳥舎〉で西江雅之さんのトークを聴いたり、谷中の〈町人〉でコクテイル・ぐるり・オヨヨ・ほうろう・ぶらじるという「君たち世の中には漢字ってもんがあるの知ってる?」と云いたくなるステキな屋号の面々と飲んだり、風邪引いて動けず、阪本順治監督《亡国のイージス》を見たらつまらなくて熱が上がり、キム・ベイシンガー主演《セルラー》(2004・米)を観たら、あまりカネかかってなさそうなのにアイデアの勝利で面白くて、ちょっと元気になったりしていた。


今日は出勤日。今年前半に出す本の準備に追われる。昼は近所にある十穀米のおにぎり+豚汁。なかなか雨が止まないが、4時ごろに出て神保町へ。〈三省堂書店〉で、西村賢太『どうで死ぬ身の一踊り』(講談社)を買う。どんな装幀になったか愉しみにしていたが、意表をつく強烈なデザイン。深沢七郎のある本を思い出した。跋文には、この本の奥付が1月29日でなくてはならなかった理由が書かれている。道理で、取次のデータには1月29日と2月1日の2つの予定日が記載されていたワケだ。この本は、じっくりと、でも一夜で読みたい。〈書肆アクセス〉に行くと、青柳さんにバッタリ。大阪市立近代美術館建設準備室編『前田藤四郎 “版”に刻まれた昭和モダニズム』(東方出版)を買う。3月21日まで心斎橋展示室で開催中の展覧会の図録。川西英などの神戸の版画グループ「三紅会」にも所属した版画家。夫人に〈エピナール〉という喫茶店を開かせてもいる。この展覧会はぜひ見に行きたい。


打ち合わせを一件済ませたあと、ウチに帰り、仕事の電話少々。強い地震があった。先日、札幌でお会いした杉村悦郎さんから、著書『新撰組永倉新八外伝』(新人物往来社)と、共著『新撰組 永倉新八のひ孫がつくった本』(柏艪舎)を送っていただく。後者はタイトルもスゴイが中身もスゴイ。永倉新八のひ孫である杉村悦郎さんと杉村和紀さんが、永倉について書いた研究者・作家(浅田次郎とか)・マンガ家(『風光る』の渡辺多恵子や、黒鉄ヒロシ)にインタビューしたり、近藤勇沖田総司の子孫と対談したりする「バラエティーブック」なのだ。杉村悦郎さんは、「『新撰組永倉新八外伝』後日録」という日記を載せていて、新撰組のことをあまり知らないぼくにもかなりオモシロイ。


ほかに『記録』の新しい号も届く。塩山芳明「奇書発掘」では川崎彰彦『ぼくの早稲田時代』(右文書院)を取り上げている。この間の飲み会で、スデに強烈な批評を聞いていて、その通りに書かれている。編集した人間としては、金を払って読んでくれた読者の貴重な意見として受け取るのみ。しかし、この本はいま、このカタチでなければ出せなかった、という気持ちは変わらない。


今日から、第2回「不忍ブックストリート一箱古本市」に出品する店主の受付を開始しています。すでに3人の方から応募がありました。応募いただいた方には、受け付けましたというメールを返信しています。締め切りは2月28日(火)の夜中までです。皆さんのご応募をお待ちしています。


で、ちょっと補足。こないだ、ぼくは「屋号や売る本を自分なりに考えてから応募してほしい」と書いたのですが、それを受けて、品揃えに悩んでいるヒトもいる模様。プロの古本市と違い、品揃えに凝る店主やその辺の本をかき集めてきた店主が混在しているほうがオモシロイ、とぼくは思います。「個性的かどうか」だけの基準で店主を選考するツモリはありません。決して、敷居は高くありませんので、気軽にエントリーしていただくようお願いします。