小樽と真駒内、ふたつの街で

kawasusu2006-01-22

朝9時起き。小笠原さんはまだ寝ていたが、先に出させてもらう。札幌駅に向かって歩く。雪の上を歩くのはだいぶ慣れてきたが、それでもときどき転びそうになる。20分ほどで到着。リュックをコインロッカーに入れ、須賀さんの到着を待つ。小樽まで一緒に行ってくれるコトになっているのだ。途中、10分遅れるという電話が入り、しばらく経つと、知らないうちにまた着信していた。ぼくの携帯電話はときどき、なぜか音が鳴らないまま伝言に切り替わるコトがある。携帯を持っていない相手だと掛けなおすこともできず、非常に困る。この日もそれが祟り、伝言にしたがって移動するが、須賀さんもその場所から移動した後で(ちょっと待っててくれるとヨカッタんだけど……)、もう一度移動してようやく会うことができた。


そんなこんなで、札幌発の電車に乗ったのは10時半、小樽に着いたのは11時過ぎていた。車内では須賀さんといろいろ話す。札幌以外の小樽や旭川の古本屋事情とか、これから行く小樽文学館で須賀さんが講演をしたハナシとか。須賀さんの話し方は独特で、ときどき、話の内容にほぼ関係なく「ハハハハ!」と笑うのである。いや、関係なくはないかも。これから話すことをアタマに思い浮かべた瞬間、笑ってしまうのかも。最初はとまどったが、これが癖なのだと判ると平気になった。そういえば、東直己の小説にも、こういう話し方をする人物が出てきた。車窓から海が見えてきたので、「あれは本州の方向ですか?」と聞くと、いやイマ向かっているのはこっちで、向きがこうだから、と教えてくれる。北海道の地形は知っていても、小樽がどっち側のどの辺りにあるかワカラナイから、とんちんかんなコトを云ってしまう。


小樽に下りると、海のそばだけあって寒い! 札幌に比べると底冷えがする。海のほうに向かって歩き、飲み屋が固まっている路地を抜け、廃線になった「手宮線」(雪で埋まっていたが)を越えて、小樽文学館に着く。向かいの、戦前に建てられた日銀小樽支店の荘厳な建物と対照的に、小ぢんまりとした古いビルで、予算がないのだろう、階段のクロースなどはワタが露出していたが、これはこれで歴史を感じさせる建物である。それもそのはず、昭和27年に「旧郵政省小樽地方貯金局」として建てられた戦後モダニズムを代表する建造物なのだ、と副館長の玉川薫さんに教えてもらった。小樽美術館も入っているこのビルの二階に、小樽文学館http://www4.ocn.ne.jp/~otarubun/index.html)がある。


以前からこの館でユニークな展覧会が開かれていることが気になっており、一度来てみたいと思っていた。入ったところには「JJカフェ」という喫茶コーナーがあり、そこで玉川さんにお話を伺う。ぼくは、かつて徳島・北島町創世ホール」の小西昌幸さんと、三重・名張市立図書館の中相作さんに取材しているが、玉川さんはいっけん物静かだが、この二人に負けず劣らず、自分のやりたいことを予算の枠を超えて実現してしまうスゴイ人なのだった。この取材の模様は、次号の『彷書月刊』で書きます。いま展示中の「小樽論・2 まち見て歩き」もオモシロかった。ホントは2月2日(木)〜4月2日(日)の「小樽・映画館の時代」が見たかったんだけど。受付で、まだ持っていない図録を物色し、『伊藤整、青春のかたち』1000円、『小樽高商小樽商大90周年展』300円と、大石章『渚のコーヒー 私の昔喫茶店案内』を買う。『渚のコーヒー』は喫茶店の展覧会に合わせて出された、小樽の喫茶店についてのエッセイ。


館内には、かなりの量の古本が並べられている棚もあった。ココは「古本バザー」のコーナーで、自分で決めた額を寄付すれば一人5冊まで持っていってイイそうだ。あんまり欲しいのはないかも……と思いつつ見たのだが、いきなり真鍋博『たびたびの旅』(文藝春秋)を発見! そして、けっこう長らく探していたジャック・フィニイ『五人対賭博場』(ハヤカワ・ミステリ文庫)も! あとは北海道の老舗同人誌『北方文芸』や、古本屋〈じゃんくまうす〉の目録などで5冊にし、ありがたく500円寄付する。


館を辞去して、運河のほうへ。倉庫群はまあこんなもんか、という眺め。運河の見えるところまで歩き、街のほうに戻ってくる。商店街をしばらく歩いたところにある〈ブックス2分の1〉へ。須賀さんが若店主に紹介してくれる。新古書店風だけど、古い本も置いてある。帰りの飛行機で読もうと、大倉崇裕『丑三つ時から夜明けまで』(光文社)750円、をまず手に取る。また、田村隆一対話集『青い廃墟にて』(毎日新聞社)500円、上司小剣『木像』(文潮文庫、昭和22)300円。そのあと、あまり期待せずに文庫の棚を見たら、山村正夫『推理文壇戦後史』(双葉文庫)の1、2巻が激安で見つかる。すでに持っているが、「古書モクロー」のサービス品として購入。若店主に、昼飯が安く食べられる店を教えてもらう。

その〈まるた寿司〉は二階にある、座敷の広い店。値段を見るとたしかに安い! ビールを飲みながら、ホタテのザンギ(から揚げのこと)290円をつまみ、525円のいくら丼を食べるとけっこう満腹になる。それでも、隣のヒトがラーメンを食べているのを見て、あっちがよかったかなと少し後悔する。今度はゆっくり腰を落ち着けて飲み食いしたい店だ。そのあと、〈岩田書店〉に寄ってから、小樽駅に戻る。そうだ、旬公が小樽に行ったら〈十一や〉という喫茶店に行け、と教えてくれたが、玉川さんに聞くと離れたところに移転したそうだ。商店街には〈光〉という純喫茶もあり、そこも良さそうだったが、今回は入れず。


小樽でゆっくりしたので、札幌に戻ったら4時回っていた。地下鉄に乗って、中心街の古本屋〈石川書店〉へ。入った瞬間、「ココは来たことある!」と思い出した。階段の感じが以前と同じだった。1階では、八木義徳『私の文学』(北苑社)1500円、阿部牧郎『大阪迷走記』(新潮社)500円。前者は室蘭出身のいわばご当地作家。二階はもっと専門的な本が多い。杉山平助『文学的自叙伝』(中央公論社、昭和11)2000円、川嶋康男『北の昭和放浪芸』(太陽選書)1000円。後者の解説は、歴史学者で『北方文芸』の編集同人でもあった森山軍治郎。蛇遣い、女相撲アイヌ一座などが登場。そのあと、〈リーブルなにわ〉を見る。中央部で唯一、頑張っている店。かつて名物店長がいたという。


札幌駅に戻り、荷物を取って、須賀さんと地下鉄南北線に乗る。終点の真駒内で中野朗さんが待っていてくれる。車で〈かま吉〉というすし屋へ。出るもの出るもの全部ウマかった。とくに「タチ」(白子)の寿司には舌がとろけた。ココで、中野さんの友人の杉村悦郎さんにお会いする。杉村さんは、新撰組生き残りの永倉新八のひ孫、というスゴイ経歴の方で、永倉についての著書もお持ちだ。いま、新聞記者だった父上の戦前の日記を出版すべく準備中というコトで、興味深いハナシを伺う。杉村さんは広告代理店勤務だが、以前は情報誌『ステージガイド札幌』を編集していたこともあるという(あとでバックナンバーを数冊いただいてしまった)。中野さんと杉村さんの構想を聞き、須賀さんの古本屋裏話も出て、みんなすっかり酔ってしまう。そのまま隣の〈櫻珈琲店〉という尋常でなくシャレた店(なにしろ店内は真っ暗でテーブルに小さなランプがあるだけ)に入って、大声で談笑するという嫌われ者になってしまった。


12時半にタクシーで、中野さんのお店へ。ここは中野さんのもともとの実家だった。一階は床暖房も入って暖かい。ココでさらに2時まで飲み、すっかりロレツが回らなくなったところで、風呂に入れてもらい、雑魚寝する。みんなで布団を敷いてるとき、酔った須賀さんがあんまりハシャイでいたので、「うるさいよ、須賀さん」とコッチも酔いつつも注意したら、ちょっとシュンとして一人でソファに寝ていたので、気の毒なことをした(しかし、翌朝また同じテンションに戻っていたので、覚えてなかったみたいだ)。そんな風にして、長い長い一日は終わった。

*写真は小樽文学館に再現されている、『日本文壇史』執筆時の伊藤整の書斎。