京都では、古本屋めぐりとオフノート奇談

朝8時起き。荷物を詰め込んで、9時に出発。9時半ののぞみで、京都に向かう。車中、東京駅から出るときにはいつも買う「チキン弁当」を食べる。朝飯は食べたので、昼前まで待とうと思っていたが、一緒に缶ビールも買っていたので、出発してしばらくしたらつい手が伸びてしまった。その代わり昼飯は抜いたが。


12時すぎに京都駅着。地下鉄で烏丸御池に出て、京都市役所に向かって歩く。米原の辺りですごく雪が積もっていたので、京都も寒いんじゃないかと思ったら、天気はイイし風もさほど冷たくない。散歩にはいい日和だ。〈三月書房〉に行くと、宍戸立夫さんが店番していた。相変わらずの毒舌でいろいろ話しかけてくれるのだが、ほかにお客さんがけっこういるので、ジャマにならないかちょっと心配。「あ、来てたんですか」と云って、あとで待ち合わせていた右文書院の青柳さんが入ってくる。京都に来て三月書房でバッタリというのは、神保町の〈書肆アクセス〉で出くわすのと同じぐらい、ありふれた光景なのかもしれないが。『水声通信』第3号(特集「村山知義マヴォイストたち」)と『黒』第10号(特集「向井孝」)を買う。後者は向井孝の死の翌年に出たもので、多くの人の追悼文が収録されている(向井が母方の祖父だという、「書誌鳥」こと森洋介氏も寄稿し、血縁を超えたフシギな関係について書いている)。編集後記には、『黒』は向井が80歳のときに創刊した、とある。


寺町通りを南に歩き、途中からヨコに曲がって〈アスタルテ書房〉へ。ぼくはどこで曲がればイイかいまだに迷ってしまうのだが、青柳さんはスッと正しい道に入っていった。ココでは、「日本の女子カルチャー」を特集し、近代ナリコさんが座談会に出ている『daitxt.』第14号(新刊)と、『別冊新評 平井和正豊田有恒集』500円、を買う。それと、都築響一『京都残酷物語』というパンフレット的な本を500円で買う。観光客の目から遠ざけられている京都の裏側を、写真と文で紹介するもの。1992年、テレスコープ叢書。


四条通りに出て、阪急の四条烏丸駅地下にある〈くまざわ書店〉で、林哲夫さんと待ち合わせ。同じく地下にある、やたらに満員の〈イノダコーヒ〉に入り、青柳さんと林さんの打ち合わせに同席。要件はすぐに終わり、あとは雑談。林さんから、小川菊松『いしずえ』(昭和16)をいただく。誠文堂新光社創業30周年記念として、ベストセラーを記録した本の内容抜粋がメインになっている。加藤美侖の『是丈は心得るべし』も登場し、口絵には加藤美侖の写真と、墓前での記念撮影が載っていた。この墓がドコなのか知りたいなあ。加藤美侖の追悼文集『水菴集』(昭和3)には年譜がないので、じつに困る。


林さんと別れ、タクシーに乗って北白川へ。「入口にクルマが突っ込んでいる建物を探してください」というアバウトな指示で、〈ガケ書房〉にたどり着く。店長の山下さんは、去年病気したと聞いていたが、もうすっかり元気だというコトでよかった。今日はやたらと客が多く、「善行堂」をはじめとする古書委託も順調なようだ。長新太『絵本画家の日記2』(BL出版)と、ムーンライダーズ[ムーンライト・リサイタル1976]を買う。そこから北に10分近く歩き、〈文庫堂〉へ。入るなり、『別冊太陽 浪花繁盛』を見つける。大阪の演芸や食についての写真とルポ。年頭に亡くなった河原淳が「なにわ式広告術アラカルト」を書いている。また、戦前の出版物の内容見本やパンフレットが、かなり多く出ている。昭和11年の『冨山房五十周年記念祝賀会 来賓各位祝辞』が300円、小学館の『現代ユウモア全集』内容見本が500円、ガリ版刷りの森瀬雅介『土鈴随想 土鈴は郷土玩具の何なのか』が500円、そして杉浦非水『非水百花譜』の内容見本が300円、とお買い得だった。ほかにも数冊買ったが、略す。東京を出たときには、着替えしか入ってなくて軽かったバックパックがいきなり重くなった。


ちょっと南に戻り、西に向かう。〈欧文堂〉を覗いてから、ガケ書房で教えてもらった〈Bee〉という店へ。〈ぐるぐるカフェ〉とかいう店の二階にあり、靴を脱いで部屋に入ると、半分が服で、奥の畳敷きの部屋で古本を置いていた。とはいえ、はじめて間もないようで、まだまだ本が少ない。さほど食指が動かされなかったが、吉野源三郎君たちはどう生きるか』(新潮社)の復刻版を400円で買っておく。ひたすら北に向かって歩き、一乗寺に出て、〈恵文社〉にたどり着く。まっしぐらに奥のギャラリーへ。音に聞く恵文社の古本市にやっと来ることができた。モダンジュース古書部、ハルミン古書センター、ちょうちょぼっこ、書肆砂の書sumusらが、ひとつずつ棚を使っている。ほどほどの量だ。最終日の一日前なので、目ぼしいものは売れてしまったようだが、それでもヒトは多かった。〈三月書房〉の出品は初日に見たかったなあ。沼田元氣さんの棚で、『men only』1952年3月号を500円で見つける。お色気グラビアあり、マンガあり、広告ありでイカニモ沼田さん好みの雑誌だ。あと、菊田一夫数寄屋橋々畔』(河出新書)を100円で。レジで、この古本市の告知のしおりをもらうがナカナカいい。「不忍ブックストリート」でも、しおりをつくろうかというハナシがあったが、いくら掛かるか調べてみよう。


恵文社扉野良人さんと待ち合わせていたが、もう少し時間があるので、〈萩書房〉まで歩く。ココで長年探していた『月刊Asahi』1993年1・2月合併号を発見。「日本近代を読む[日記大全]」という特集で、ぜんぶで200以上の日記が紹介されている。巻頭グラビアは植草甚一の貼雑日記。山口昌男谷沢永一の対談(司会は山野博史)。「日記に魅せられて」というインタビューでは徳永康元が登場。執筆者も豪華で、日記に関する雑誌の特集としては完璧すぎるほど。この特集を企画したのは、もちろん坪内祐三さんである。これが500円とはウレシイね。ほかに小型判時代の『プレイガイドジャーナル』が2冊、各300円だった。同じ道をえっちらおっちら戻り、恵文社へ。ここまでいったい何キロ歩いたのだろう? 青柳さんは文句も云わずついてきてくれるが、内心アキレてることだろう。扉野さんと会い、歩きだすと雪がチラチラ降ってきた。ちょっと先にある蕎麦屋に入る。つまみも酒もウマイ店。近代ナリコさんもあとから来て、いろいろ話す。シメにそばを食べ、近代さんが友達に会いに行ったあとも、まだ話す。


店を出たあとも話し足りない気分で、タクシーに乗り、扉野さん宅の近くの居酒屋へ。〈まほろば〉という店で、入るなり、なんかいい感じだなと思う。ぼくが座ったヨコにCDの販売コーナーがあり、オフノートのCDが多くあった。日本酒を飲みながら、話しているうちに、奥のテーブルに座っているヒトの声に聞き覚えがある。チラチラ見ていたら、マスターが「ひがしのさん」と話しかけたので、「歌うたい」のひがしのひとしさんだと判った。一度、江古田の〈Buddy〉でライブを見たことがある。カウンターに座っていたのは、オフノートからCDを出している藤村直樹というヒトらしかった。マスターに「道理でオフノートのCDがあると思いましたよ」と云うと、「彼女もCD出してるよ」とカウンターに入っている女の子を指差す。云われて改めて見ると、おお、「薄花葉っぱ」のボーカル・下村ようこじゃないか! 最初見たときキレイな女の子だなと思ったのだが、気づかなかったよ。下村さんには何度かライブに行っているのは伝えたが、『ぐるり』で薄花葉っぱについてエッセイを書いたコトは云いそびれた。マスターは、『謄写技法』の坂本秀童さんの友達で、坂本さんが住む徳島の出羽島に別荘を持っているのだという。なんつーか、世間は狭いねえ。


京都駅近くのホテルに泊まる青柳さんをタクシーに乗せて別れ、ぼくは扉野宅へ。今夜は泊めてもらうのだ。焼酎を飲みながら、3匹の猫をいじりながら、さらに話す。扉野さんはナニを聞いても打てば響くように教えてくれるので、話すのが楽しい。「ブッダハンド」の蔵書も見せてもらい、満足。2時ごろ、眠りにつく。