石井輝男の東京

朝9時起き。メールとブログを見て、ほおが緩む。まず、山本善行さんから「びっくり」という件名のメールで、「驚きました。私が隠してた本は、ジャン・グルニエ『孤島』だったのです。確か、井上究一郎訳でしたね。河上君が買っていたとは。くやしいので今から酒のみます」だって。わーい、ソムリエに勝ったあ、と無邪気に喜ぶ。それにしても、あれだけ掘り出しものをしてて、さして珍しくないハズの本を買われたことをくやしがるとは、このファイトは見習いたい。


もうひとつ。「Web読書手帖」(http://yotsuya.exblog.jp/)で、平岡正明『哲学的落語家!』(筑摩書房)に、ぼくの名前が出ていたとある。

<P.S. − 担当の長嶋さんからWEBサイトから拾った記事だとFAXが来た。「有明夏夫さん死去(二〇〇二年十二月十七日)。好きな作家を挙げろと云われたら、おそらく20番までには入るであろう小説家が66歳で亡くなった。肝不全とのこと。新聞の訃報欄に小さく載っただけで、その後、文芸欄でもまったくフォローがない。」発信者は南陀楼綾繁有明作品を近時目にしないのを不思議に思ってのことだった。亡くなったのか。>p231


コレにはビックリしたなあ。じつは、この本、筑摩の長嶋さんが送ってくださっていたのだが、続いて出た『東京ジャズ喫茶伝説』(平凡社)に先に取り掛かったので、まだ中身を見てなかったのだ。一言教えといてくださいよ〜、長嶋さん。それにしても、桂枝雀を主人公とするこの本に、有明夏夫が出てくるとは。有明の『大浪花諸人往来』がNHKでドラマ化されたときに、枝雀が主演だったのだが、そこまでハナシが広がっているのはスゴイ。ちなみに、「好きな作家を挙げろと云われたら、おそらく20番までには入る」というのは本音で、デビュー作の『FL無宿の反逆』から最後の作品『誇るべき物語 小説・ジョン万次郎』までぜんぶ好きだ。『季刊・本とコンピュータ』でエッセイを書いてほしくて、「デジタル捕物帖を夢想する」(有明氏はハッキング小説も書いているほどなので、コンピュータに強いのではと想像していた)というテーマまで立てていたのだが、依頼に至らず終わったのが残念だった。そのヒトの名前と並んで、平岡氏の本に引用されたのは、とてもウレシイ。


仕事場に行き、ブックカフェ本のゲラをしゃかりきでやる。確認すべきコトが多すぎて、昼飯を食いに行くヒマもない。会社の女性が買ってきてくれた麻婆豆腐のテイクアウトがウマイ。5時半にようやく区切りをつけ、市ヶ谷へ。〈ルノアール〉でKさんにゲラを渡す。表紙のラフも見せてもらう。ナカナカいい感じの本になりそう。打ち合わせを終え、急いで有楽町線に乗って池袋へ。〈新文芸坐〉での石井輝男特集。明日からは興味のない作品なので、ぼくにとっては実質今日が最終日。入ると、一本目がはじまったところ。《女体桟橋》(1958)という題名はイカニモだが、中身はつまらん。20分ほど寝た。


しかし、2本目の《セクシー地帯(ライン)》(1961)は、スゴかった! 冒頭から最後までずっと三原葉子に引きずられっぱなしの吉田輝雄の「好男児かつヌケ作」な演技には、ほおを緩めっぱなし。吉田の「ぼくは猟奇的なことにとても興味があるんだ」というセリフは、10年後の石井映画で彼が残酷&異常&猟奇の実践派として再登場する経緯を知っているだけに、複雑な気分(この頃はまだ純情だった……)。二人が監禁され、ナイフで紐を切るときの、意味なくセクシーなシーンも可笑しい。平岡精二クインテットの音楽もノリノリ。


そして、この映画の最大の見所は、予算のない新東宝映画ならではの、屋外ロケの多様ぶりだ。銀座の飲み屋街の路地や、浅草の浅草寺近く、新橋SL広場、東京駅の丸の内改札など、群集の中で普通に撮影している。《黒線地帯》でもそうだったが、この映画にも川のシーンが出てくる。銀座の松竹を見上げる川に、貸しボート屋があったんだなあ。場内でグーゼン会った塩山芳明さんも、この映画を絶賛。「新橋のシーンで、『笑いの泉』って雑誌のイルミネーション看板のあるビルがあったろ。あれは(エロ雑誌出版社の)一水社が借りていたビルだよ。あそこは、あれで儲けたんだから。あのビルの中に、赤瀬川原平なんかの展覧会をやった画廊があったんだよ」。この画廊は、宮田内科という医院がやっていた「内科画廊」のことだ(http://www.tctv.ne.jp/sparabo/edt_tk/editor3-202.html に詳しい)。ともあれ、1961年の東京の空気をじかに感じられる映画だった。《珈琲時光》が2004年の東京を描いていながら、なんの空気も感じられないのと対照的だった。


塩山さんに飲みに誘われるが、やるコトが残っているので、ウチに帰る。残り物で夕飯を食べ、取材先からの直しをゲラに反映する。