オマエはドコに向かうのか?

昨夜は侯孝賢監督《珈琲時光》(2004)をビデオで観た。観ているうちにだんだんムカムカしてきた。なんだ、こりゃ。アングル固定・長回しのカメラで東京の風景を撮ってりゃ、「小津安二郎生誕百年記念映画」かよ。この中に出てくる店を明日取材するので、ガマンして最後まで観たが、それがなければ途中でヤメていただろう。駅や街の光景などは場所を特定しやすいので、20年後に観たら、それなりに懐かしい時代の記録ではあるんだろうが……。


それと気になるのは、冒頭の主人公(一青窈)の行動だ。1)台湾から帰国して、2)翌日、都電荒川線沿線(鬼子母神駅か?)のアパートに帰り、3)荒川線で大塚(?)でJRに乗り換え、4)水道橋(?)で降りて白山通りの古本屋へ、5)日暮里駅のコインロッカーで荷物を取り、6)高崎へ向かう、というルート。これのドコがおかしいかといえば、「高崎に戻るついでに寄る」というようなコトを、主人公が古本屋に電話してるからなのだ。鬼子母神から高崎に向かうんだったら、水道橋なんぞに寄らずに、大塚で乗り換えてまっすぐ上野に向かえばイイじゃないか。ぼくが駅を勘違いしているのかもしれないが、このルートは明らかにヘンだ。この映画のテーマがあるとしたら、「移動」ということなのだろうから、その辺を「映画だから」とイイカゲンに片付けるわけにはいかないだろう。このシーンについて、納得の行く移動ルートをご存知の方がいらっしゃったら、ご教示を乞う。


上は昨夜の流し見の記憶で書いたので、ちょっとマチガイがあった。ビデオを見返すと、一青窈のセリフは、「高崎に帰るから、その前に寄るわ」というもの。「ついで」ではないのだから、どんなルートをたどろうが、余計なお世話ではあった。しかし、すごく遠回りのルートなのに、通りがかりのようなニュアンスで話しているのが気になるのだ。3)は明らかに大塚で、ココで山手線に乗り換えて、秋葉原で乗り換え、お茶の水で降りているようだ。降りた直後に、道の右側に見えるのは、〈丸善〉の前にある〈三進堂書店〉なのでは? で、次のショットで、いきなり古本屋(モデルは〈誠心堂書店〉)の店内につながるのだが、この古本屋が白山通りにあることは、近所に喫茶店〈エリカ〉があることで明らかだ。つまり、ずいぶん大胆に描写をカットしているのだ。1カットが長いため、編集の際にやむを得ずカットしたのか、もともとそこまで正確に行動ルートを設定してはいなかったのかは不明だが、後者だとすれば、ちょっと納得がいかない。映画の描写にウソがあることは百も承知だが、この映画に存在価値があるとすれば、東京の電車や駅、街をきちんと映像に焼き付けたことだろう(だってハナシはつまんないんだもの)。ようするに、最初からウソ満載の映画ならそれでイイのだが(日活アクション映画とかで、「銀座」とテロップが出ているがじつは新宿だったとしても、誰も文句は云わない)、「ナチュラル」とか「ありのままの東京」とかの評価がちらつくこの映画で、それをやっちゃイカンだろうということだ。……どうも長々と書いてしまったが、ようするに気に入らなかったんだね、この映画のことを。


で、朝。早めに起きて、「早稲田古本村通信」の原稿を書く。今日は出勤日。3時に飯田橋に行き、病院に旬公を見舞う。「ネットがつながらない!」というので、接続をやらされる。また仕事場へ戻り、そのあと神保町の某店で取材。水道橋近くの〈旭屋書店〉で、草森紳一『随筆 本が崩れる』(文春新書)と、木村衣有子(文)・セキユリヲ(図案)『サルビア東京案内』(ピエ・ブックス)を買い、総武線秋葉原で乗り換えて、ウチへ。