待合室で読む『月の輪書林それから』

朝8時半起き。書留を受け取ったり、風呂に入ったりしてると出かける時間。JRで飯田橋まで。1時前に病室へ。旬公は手術の準備にかかっている。1時半、旬公は手術室へ。ぼくは家族待合室へ。先週、いち早くもらったにもかかわらず、まだ読んでなかった、高橋徹月の輪書林それから』(晶文社)を読みはじめる。中途半端に読み流したくなかったので、しばらく積ん読にしておいたのだ。待っている家族のうるさい会話や、子どもの声に悩まされながらも、熱中して読みつぐ。高橋さんのお母さんのガン治療についての記述などは、この場で読むのにふさわしすぎた。


前回の手術のときは、1時間ほど経つと呼ばれて、「迅速病理」の結果を伝えられ、それから切除に入ったのだが、今回は2時間近く経っても呼ばれない。ちょっと心配になるが、あえて本のほうに集中する。そのうち読了。いや、スゴイ本です。高橋さんが記す一人一人、一冊一冊に驚きながら読んだ。ぼくの興味にも重なる部分がかなりあり、参考になったという意味では、前著以上だった。しかし、この本については書評では判りやすく書きにくい、という気がする。ぼくが反応したことのイチイチを具体的に説明しながら、この本を評価するにはかなりの字数と力が要る。『レモンクラブ』で取り上げるツモリだったが、見送ることに。


4時ごろ、M先生に呼ばれ、説明を受ける。予定通り終了したとのこと。今回は「迅速病理」を説明する手間は省いたみたい。前と段取りを変えられると、心臓に悪いよ。ま、無事に終わってヨカッタ。麻酔が切れるまで待つので、カバンに入っていた『本の雑誌』を読む。いつも買っているのに、巻頭から巻末までぜんぶ読んだのは久しぶりだ。コレも読み終わり、待合室のテーブルにあった『恨ミシュラン』を手にとろうかどうか、迷っているウチに、ストレッチャーに乗った旬公が出てきた。まだ意識はもうろう。病室まで戻り、しばらくヨコにいるが、ぐっすり寝ているので帰ることに。〈文鳥堂書店〉で、毎日ムック『神田神保町古書街エリア別完全ガイド』を買う。濱野さん、写真そんなに悪くないじゃん。写真といえば、『ミステリーファンのための古書店ガイド』の野村宏平さんの顔をはじめて見た。それと、今回は全体に読み物が少ない気がする。


ウチに帰り、ビデオでシドニー・ポラックザ・インタープリター、米》(2005、米)を観る。まァ、おもしろい。ただラストには拍子抜け。独裁者ってあんなに簡単に反省するモノなの? あと、いまから《珈琲時光》も観なきゃならない。明日の取材の下準備なり。


では、恒例の〈往来堂〉フェアのテコ入れです。自分の選んだ5冊の紹介は終わったので、今度は他のヒトのセレクションを勝手にテコ入れします。今日は、いましろたかしの『釣れんボーイ』を。宮地さんの「泣きバイ」の効果で売れ行きは好調なようですが、ぼくもこのマンガ、大好きなので……。この文章も『レモンクラブ』で、2002年10月号に載ったもの。ちなみに、最後に出てくる「チャコさん」というのは、同誌にエロ体験エッセイ四コマを連載していた女性マンガ家で、かなり長く連載していたのだが、塩山編集長は「最近つまらなくなった」と打ち切りを宣言。性同一化障害の告白など、なかなか興味深かったんだけど。いまは、どうされているのでしょうか。

 夜中までずーっと仕事して、誰もいなくなった仕事場をあとにして、タクシーに乗ってウチに帰ると、クレジットカードの請求書とライブのお知らせ(行けるワケがない)が待っていて、奥の部屋では本の山が三つぐらい崩れている……。


 そんな夜に読んだら、確実にやる気を失なってしまうマンガがある。たとえば、つげ義春つげ忠男川崎ゆきお、最近だったら古谷実。普段は本棚の奥に閉まってあるのに、アタマが疲れきったピークに、そういうマンガを読むともうダメ。その日は(ひょっとして翌日も)ナンにもできない。だからといって、人生に絶望して死にたくなったりもしない。ダメ人間になっていく自分を楽しめる。


 いましろたかしの『釣れんボーイ』もそんな一冊だ。主人公のヒマシロタケシは売れないマンガ家で(「最近相手にされなくてよ、なめてんじゃねぇよ、タコ編集者どもが…ふざけやがって」)、妻が働いてなんとか生活できているようだ。


 少ない仕事もなかなか上げられず、「締め切りがくる…。なんか描かなきゃ、なんでもいいから16ページ描かなきゃ…」と苦しむ。いったんはヤル気になって、「まんが家はまんが描くのが仕事! よし気合入った!」となるが、次のコマでは「しかしこんな仕事どーしても仕事だと思えねえ。また気合抜けたっ…」と変わる。この書評コラムでさえ、なかなか書けないぼくには他人事とは思えない。ヤル気になった一瞬の気合をどう捕まえるかで、仕事ができるかどうかが決まるのだろう(島本和彦の『吼えろペン』ではこの辺りをいつもウマく表現している)。


 けっきょくナニもやらず、真っ白なママの紙(これがまた、妙にリアルなんだ)を残して、バイクで出かける。目的地は、川。アユの友釣りに命を懸けているのだ。
 貧乏なのに、飛行機で地方の川に行ったり、二十三万八千円の釣り竿を買ったりと、釣りにはカネを掛けている。しかも、久しぶりに連載の依頼が来たのに、五月からはアユ釣りの時期だからと、断ってしまうのだ。まさに釣りバカ。


 コレで釣りが上手だったら、まだ救われるのだが、そこまで打ち込んでいても、かなりヘタ。一匹も釣れずに帰る日も多いし、釣り大会に出ても(何度も下見までしておいて)予選敗退。ああ、ダメなヒトだ。


 とにかく、ヒマシロ先生の迷走ぶりはすごくて、突然金髪にしたり、女編集者や病院の先生にホレてラブレターを描いたり(「いい女」とか「かわいい」とか云ってるけど、絵を見ると「どこが?」という女ばっかりなのが笑える)、ギターとドラムを同時に習いはじめたり……。四十歳近いハズなのに、いったいドコに向かってるんだろう、このヒトは?


 初期作品集の『トコトコ節』(イースト・プレス)の自筆年譜によれば、いましろたかし高知県出身で、十九歳のときに「ミュージシャンになると周囲に宣言するも説得され断念、以後麻雀に打ち込む。なんだかわからないが『プロ』に憧れる」。そして就職浪人のあと、「いかなる『プロ』にもなれないことに気がつき帰郷」した。しかしそこでも、仕事は首になり、マンガ家をめざす。そして、各社に持ち込んだ末、ようやくデビュー。売れないマンガ家となった。実生活でも迷走を繰り返してきたのだ。


 デビューから十五年経ったこの時期に、いましろたかしは注目されはじめている。『コミックビーム』に数年間連載された『釣れんボーイ』が八百ページの厚い単行本にまとまり、『ハーツ&マインズ』『ザ・ライトスタッフ』を収録した『初期のいましろたかし』(小学館)も出た。『トコトコ節』も増刷されたし、一年ほど前には狩撫麻礼と組んだ『ハードコア』も復刻されている。


 コレらの動きは、おそらく各社にいるいましろ好きの編集者が共謀して仕掛けたものだろうが、十五年目にしてようやく、いましろのマンガを普通に読む読者が現れてきたということなのかもしれない(だから、復刻版などに載っている、売れてるマンガ家からの「以前からいましろさんのマンガが好きでした」というメッセージはかなり気持ち悪い。ホントかよ。ただの流行り好きなんじゃないの?)


 ぼくは、これまでのいましろの絵柄(体臭ぷんぷんというカンジ)には、正直ちょっと引き気味だったけど、今回の『釣れんボーイ』のようなシンプルな描線はとても好きだ。つげ義春が絵コンテそのままのようなマンガを描いたことがあるが、あんなカンジで、力の抜け具合が新しいおもしろさを生み出している。しばらくはこのセンで行ってほしいな。


 しかし、こんなマンガばかり読んでると、マジに仕事したくなくなってくる。いやいや、『レモンクラブ』だけは別っすよ!(こう書いとかないと、いつ打ち切りになることか……。チャコさんの例もあるコトだし……)