映画漬けのオールナイト

昨夜は、ビデオでジョン・フランケンハイマー監督《影なき狙撃者》(1962、米)を観たのだった。冒頭の数分で、これ最近どこかで見たハナシに似てるなと思った。そして、兵士の洗脳のシーンで気づいた。ジョナサン・デミの《クライシス・オブ・アメリカ》(2004、米)じゃないか。アレがリメイクだとは知らなかった。もっとも、《クライシス〜》はDVDで観たのだが、ハードが調子悪く画像が乱れて、ストーリーを追うのに精一杯だった。両方見てみると、オリジナルのほうが圧倒的にブキミ。共産主義という明確な「敵」が設定できていた時代じゃないと、成立しにくい映画だったんじゃないか。


朝8時半起き。旬公が図書館に行くというので、ついでにゴミを出しに一緒に下まで降りる。3階まで戻ってきたら、ナンとドアに鍵が掛かっている! 手ぶらでジャージで出たのに、鍵なんか持ってるわけはない。旬公を追いかけようとしたが、テキは自転車だし……。一瞬のウチにいろんな思念が交錯したが、ベランダに回って、そこのドアを空けたら鍵が開いていた。ゴミを出すときに、一度開けたのがそのままになっていたのだ。ああ、よかった。もし、締め出されて旬公とも連絡がつかなかったら、半日棒に振るトコロであった。あとで、旬公を蹴っとばしておいたぜ(軽くですよ)。


午前中は『彷書月刊』のゲラを直す。「エエジャナイカ」(http://d.hatena.ne.jp/akaheru/)について、9月アタマに書いたのだが、一号休刊でそのママになっていた。その後、音沙汰がなくどうしたかと心配していたら、昨日到着した。11月号は予定通りに出そうなので、まずはヨカッタ。akaheruさん、お待たせしました。ほかにも、ゲラ直しや編集上の連絡など多数。原稿を書くところまではいかず。夕方になんとか一段落。6時ごろ、〈古書ほうろう〉に行き、そのあと〈サミット〉で買い物。雨に降られて帰ってくる。晩飯は、例の肉を入れて、おでんをつくる。ダシが染みていてうまい。


まだ雨が降っているが、9時半に出かける。今夜は、「東京国際ファンタスティック映画祭」(http://tokyofanta.com/2005/)の「映画秘宝10周年記念企画 追悼!石井輝男」というオールナイト上映会があるのだった。チケットを取ったときから、なぜかずっと会場は渋谷だと思いこんでいたが、出かける前に確認したら、新宿の〈ミラノ座〉だった。あぶない、あぶない。10時すぎに着くと、ロビーはすごい人だかり。ぼくの席は前から4列目だった。かなり大きな館だったが、半分ぐらいはヒトが入っていたのでは?


10時半に開始。まず、「ファンタ」の総合プロデューサーということで、いとうせいこうが出てきたが、挨拶がどうも冴えなかった。そのあと、今夜のスポンサーだということで、KONAMIのゲームソフトのデモ画面を見せられる(機材トラブルで一度中断して、もう一度最初から)が、どうでもいい。そのあと、町山智浩柳下毅一郎ギンティ小林ら『映画秘宝』の連中が出てきて、映画祭らしくなる。編集長は体調不良で休みで、代わりに編集部員【大矢副編集長】が司会する。いきなり押し付けられたのは同情するが、喋りが上滑りしていて、しかもうるさい。編集部じゃないのに、柳下氏が「この映画の公開は……」などと抑えておくべき情報をフォローしてた。【「腰痛日記@岡山津高台(旧・読書日記@川崎追分町)」(http://d.hatena.ne.jp/kokada_jnet/20051019)によれば、毎回、司会は大矢さんがしているのだそうです。初めてだったので勘違いしました。10月19日訂正】


スケジュールを見たときに、10時半開始で映画4本やって終了が6時50分なんてチンタラしすぎなんじゃないの? と思ったが、始まって納得。合間に、彼らとゲスト(杉作J太郎ほか)のトーク、新作の予告編(《ホテル・ルワンダ》もやった)上映などが、たっぷりあるのだった。いかにも『映画秘宝』のイベントらしくて楽しめたし、眠気覚ましにもなった。おかげで、38歳でもオールナイトをなんとか乗り切れた(椅子がよかったこともあるな)。


上映した映画は、石井輝男作品の《直撃地獄拳 大逆転》(1974)と《やさぐれ姐御伝 総括リンチ》(1973)、中島貞夫監督《狂った野獣》(1976)、石井聰亙監督《狂い咲きサンダーロード》(1980)の4本。《直撃地獄拳》はアクションからエロ・グロ・スカトロまですべての要素がてんこ盛りのステキにバカバカしい映画、《やさぐれ姐御伝》は明治時代の貧民窟のセットが戦後の闇市みたいでよかった。《狂った野獣》は2回目だが、大スクリーンで見ると迫力ある。《狂い咲き〜》は石井聰亙自身がPAを持ち込み操作して上映した、「爆音版」。いや、すごい音だった。最後に挨拶があって、終了。無駄な要素がまったくなく、小ネタを詰め込んだいいイベントだった。来年もやるなら、また来たい。7時半に家に帰り着き、布団を敷いてすぐ眠る。


では、〈往来堂〉フェアのテコ入れ第3弾。今日は、《やさぐれ姐御伝 総括リンチ》の闇市的セットにちなんで、藤木TDCブラボー川上『東京裏路地〈懐〉食紀行』です。云ってみれば、この本は「食」本の世界の石井輝男みたいなもんです(藤木氏は『映画秘宝』のレギュラーだし)。以下は『レモンクラブ』2003年2月号より。文中のスムースフェアは、池袋リブロで行なわれました。あのときも冊子をつくったんだよなあ。

 三カ月ほど前に、ある書店でぼくが属している書物同人誌「sumus」が企画するフェアを行なった。メンバーがいくつかのジャンルから文庫・新書を選び、店に置いてもらうという試み。一カ月間の期間中、よく売れた本を挙げてみると、嵐山光三郎文人悪食』(新潮文庫)、太田和彦『完本・居酒屋大全』(小学館文庫)、内田百間御馳走帖』(中公文庫)、久住昌之・谷口ジロ−『孤独のグルメ』(扶桑社文庫)という具合に、食についての本がよく売れた。


 私見では、映画、古本、建築など「●●をめぐる本」が売れる時期というのは、その本体はあんまりイイ状況じゃあなかったりする。消えていきそうだったり、危機感が高まっているときにこそ、「めぐる本」は盛り上がるのだ。食に関しても、みんながグルメになったからこんな本を読むとは云えないだろう。むしろ現実の食生活がマズシイから、食をめぐる本にヨダレを流すのかもしれない。


 今回紹介する藤木TDCブラボー川上『東京裏路地〈懐〉食紀行 まぼろし闇市をゆく』なども、タイトルだけでは、消えていく居酒屋や大衆食堂を懐かしむ本に見えるかもしれない。たしかに本書では、二人の著者が終戦直後、焼け跡の街に出現した非合法マーケット「闇市」の名残りを訪ねたり、日に日にキレイになりつつある競馬場や競輪場に残る売店を探したりするワケで、目次も「新宿 ションベン横町『きくや』の鯨カツ」「五反田 池上線大崎広小路駅ガード下『一平』のウインナーキャベツ炒め」などと居酒屋ガイド本のパロディっぽくなっている。つまり、「B級グルメ」や「レトロ」ブームの延長線上で読まれる本ではあるのだ。


 だけどこの本には、従来の食をめぐる本にはない大きな特徴がある。それは、食べることによって歴史をいまに蘇らせてやろう、という野望みたいなもの。いまある居酒屋本は漠然とした「懐かしさ」を共有するだけで、その懐かしさがどこから生まれてきたかを考えてみることはない。逆に蕎麦やカレーなどの料理の歴史本は、起源を追うことしか頭になく、最後の方にとってつけたように「現在ではインスタント食品として……」と書くだけだ。しかし、この本では終戦直後といまが一直線につながっている。


 たとえば、渋谷。宇田川町や百軒店でマーケットの利権をめぐってヤクザがしのぎを削った南側に大和田町があり、そこにはまだ一部の飲食店が残っている。その中の居酒屋「細雪」で喰う腸詰めは、中国大陸からの引揚者が始めた頃の味が五十年間も続いている。     

 たとえば、町屋。終戦後は闇市で賑わったという尾竹橋通り、ナゼか「土地建物」という看板建築が残る建物で深夜営業している「阿波屋」で、「刺身の余ったのとか牛肉とか、だいたいなんでも入れちゃうんだよ」という闇市ゴッタ煮風の「カレーシチュー」を喰う。


 たんなる思いこみだろう、と云うなかれ。二人の著者は四十代前半なので、もちろん闇市を知っているハズはないのだが、二十年前からあやしい通りの居酒屋や風俗店で過ごしてきたという体験の強みがある。その徘徊の間に、「なんでこんな辺鄙なところに飲屋街があるのか」などという疑問を抱いてきた。ことに藤木TDCが、飲み屋のおばさんの会話やある本の一節から表面上の歴史書からは消え失せた戦後史の裏面を引きずり出してくる手腕はスゴイ。とくに、いまは無き雑誌『ダークサイドJAPAN』に載ったときにも驚嘆した「新宿・彦左小路 あらかじめ終わりが約束された飲屋街」は必読。なくなる前に、ココだけは見ておきたいと思った。


 かといって時代考証に傾きすぎて、読者がついてけないというコトはまるでない。戦後史のおさらいは短いリードにまとめておいて、本文は二人と編集者の絶妙な掛け合い対話で進行させる。取材というより、「メートル」が上がっちゃってる状態での実況中継が楽しい。「『兵隊やくざ』に出てくる青柳憲兵軍曹に扮した成田三樹夫似のご店主様」なんて、見てみたいねェ。


 登場する店も料理も、行ってみたいし喰ってみたい。でも、わざわざソコをめざして行くようなモンでもない。「絶句するほど美味いメニューってないんですけど、それでもたびたび来ちゃうもんな。安いし」というセリフに、これらの店の良さが凝縮されていると思う。


 あとがきに、「最近はレトロブームやら七〇年代ブームで〈昭和の時代〉がやたらと見直されたりもてはやされたりしている。だがそれが平成のファクターを通したアンティーク的なニセモノなのがよく分かる。そこにはヨゴレもダササも何もない」とある。そういう「営業レトロ」に食傷したら、ぜひこの本を読んでほしい。


 なお、本書は『別冊GON!』(それ以前は『おとこGON! パワーズ』という妙な誌名)での連載をまとめたもの。猥雑とふてぶてしさとおたくといい加減さ(と読みにくい字の小ささ)に満ちた雑誌からこんな本が生まれたコトを、編集者は誇ってもイイと思う。単行本のデザインも『GON!』テイストに溢れていてステキです。