浅草で浪曲を

朝9時起き。書評の原稿を送る。今日は出勤日。シャカリキになって、入稿するテキストを整理する。昼も弁当を買ってきて済ませる。4時半に仕事場を出て、市ヶ谷へ。〈ルノアール〉でデザイナーKさんと会い、今日の分を渡す。週明けにあと半分を渡すことに。


総武線で浅草橋、都営浅草線に乗り換えて浅草に6時半着。途中でちょっと方向を見失い迷いながら〈木馬亭〉に到着。今日は浪曲を聴くのだ。前にも来たコトがあるが、3000円の入場料で、完全に満席になるのはスゴイ。玉川美穂子の新作「浪曲・シンデレラ」ではじまり、玉川福太郎の「青龍刀権次」、国本武春の「紺屋高尾」、トリが福太郎の「青龍刀権次」続き。「青龍刀権次」は幕末から明治にかけてのケチな博打打ちが主人公。侍から官員に身を変えた男に何度もだまされて監獄に入る。まるで、山田風太郎の明治伝奇物みたいなストーリーで、楽しめた。「爆裂お玉」がカッコよく登場したところで、「ちょうど時間となりました〜」と終わる。続きを聴いてみたい。出口で、誘ってくださった間村俊一さんと、たまみほさんに挨拶して、バスに乗って帰ってくる。


と、折りよくバスが出てきたトコロで、〈往来堂〉フェアのテコ入れ第2弾と行きましょう。もうお判りですね。田中小実昌『バスにのって』であります。以下は『レモンクラブ』1999年10月号に載ったもの。いまよりも文章がヘタだなあ。冒頭に『サイゾー』のことが出てますが、最初の2年間ぐらいはけっこうオモシロかった。いまは買ってません。杉作J太郎の『ヤボテンとマシュマロ』は、大幅に構成を変え、『男の花道』として来月ちくま文庫から出る予定。

最近創刊した『サイゾー』という雑誌(インフォバーン発行・電波実験社発売)がコンピュータ文化寄りのゴシップ&メディア批評誌といったところで結構オモシロイ。その雑誌で連載が始まったのが、杉作J太郎の「ヤボテンとマシュマロ」。最近出た同名の単行本(メディアワークス)と同じスタイルのマンガだが、第二回目で自転車のことを描いている。ナンでも杉作さんは都内のたいていのトコロなら自転車で行っているそうな。僕も自転車で本屋や映画館に行ったりするのが好きなんですが、杉作さんも云ってるように、東京の道は坂が多いのがツライ。それと都会では自転車で走るとき、車道の端っこか歩道のどちらかを選ぶしかない。両方ともアブナイしスイスイ行けないのが難点。


自転車と並んで好きな乗物はバスだ。時間はかかるけど、都内では二〇〇円出せばドコでも行けるし、初めての道をバスでゆっくり行くのは楽しい。前置きが長くなったが、今回取りあげるのは、そんなバス好きにはたまらない本。田中小実昌は、作家で翻訳家で映画評論家だ。しかし、彼ほど肩書きが似合わないヒトも珍しい。ナンでもやるし、ナニをやっても才能がある人なのに(いや、そういう人だからこそ)、翻訳家らしいとか作家らしい態度をとったことがない。ただ、何となく生きているような感じだ。存在自体が独特であるヒト。同じタイプの人物としては、殿山泰司ぐらいしか思いつかない(トーゼンのように、この二人は親友であった)。


コミさんは、いつも同じように毎日を送っている。「東京では、月曜日から金曜日までは、毎日、映画の試写を二本ずつ見る。これも、そういう習慣になっているだけで、自分が映画評論家などとおもったことはない。そして、土曜、日曜はバスにのっている。これも、自分でバス研究家と考えたことはない。東京はいくら広くても、バス路線はかぎられている。だから、しかたなしに、おもしろくなくても、おなじバスにのってる始末だ」


そして、夜は酒場に行って、ぶっ倒れるまで飲むのだ。七十四歳だからこんなに悠々自適なんだと、早合点するなかれ。コミさんは、すでに五十代の頃から、こんな毎日をつづけているのだ。いったいいつ仕事して家庭生活を営んでるのか、フシギでしょうがない。かといって火宅の人というワケでもなく、娘も二人いる。コミさんは年に数回、海外に長期滞在するが、そこでも同じような生活を繰り返す。友人のウチに居候し、昼はバスに乗って時間をつぶし、映画を観て、夜は酒を飲む。「昼は映画夜はお酒ほかにすることがあるの」というタイトルのエッセイがあるほど。べつに名所に行くこともなく、新しい体験もそれほど喜ばず、ただ、たんにそこに滞在している。


ある旅行ライターは、ベルリンのバスの中でコミさんに逢ったそうだ。たぶん、そのときコミさんはただ、たんにバスに乗っていたのだろうなと思うと、なんか楽しい。バスに乗るという行為は、コミさんにとって、それ自体がワクワクすることであり、どこに行くかはさほど重要ではないようだ。ナニしろ、路線バスを乗り継いでどこまで行けるかやってみようと、数日間乗り続けたことさえあった。もっとも、途中でめんどくさくなって、東京に帰ってしまうのもコミさんらしい。


この本のカバー写真のコミさんは、バスに乗る快感に酔いしれているように見える。この人相がよほど怖かったのか、サンフランシスコでバスのさみしい終点についたとき、はしって逃げる運転手がいたそうだ。年をとってからは、糖尿病で毎日インシュリンの注射を打っている。老人パスももらえるようになった(使ってないけど)。でも、相変わらずコミさんはフラフラと生きている。文章もいい加減に見えるほど自由闊達で、一冊の中で同じエピソードが何回も出てくる。ところが、落語と同じで、一つのエピソードがちょっとずつ違った文章で語られるのが、じつに気持ちイイんだよなァ。もちろん、好き勝手やっているように見えて、「ぼくがいちばん気をつかうのは、文字を統一しないこと、つまり、文章の場所によって、平仮名と漢字のふたとおりをつかうってことだ」と云うあたりが、やはりモノカキのプロなのではあるが。


生きたいように生き、書きたいように書く。そんなオジイがこの世の中にいるって思えば、ちょっとは気が楽になるってもの。


明日はまた別の本をご紹介します。