がんばれ、ハチローくん

8時半起き。出勤日。仕事場で依頼状の文案を練る。初めて仕事をお願いする著者には、なるべくていねいな手紙を書くことを心がけている。ホントは、きれいな字で手書きの手紙にしたいのだが、ぼくの字は中学生並みなので、パソコンで作成する。昼飯は、〈chat〉とかいうシチューとコーヒーの店で、煮込み風ハンバーグというのを食べる。うまい。付け合せもコーヒーも美味しいので、1000円の価値はあった。


3時に出て、神保町へ。〈書泉グランデ〉で『en-taxi』第11号(笠原和夫のシナリオ『実録・共産党』が別冊附録。厚い)と、紀田順一郎東雅夫編『日本怪奇小説傑作集』第2巻(創元推理文庫)を買う。〈高岡書店〉で、福満しげゆき僕の小規模な失敗』(青林工藝舎)を。そして、〈ディスクユニオン〉で、[西岡恭蔵BOX]を買う。コレは[ディランにて]と[街行き村行き]の2枚組。〈岩波ブックセンター〉で資料本を一冊買い、半蔵門線半蔵門へ。〈A〉でKさんとNさんと打ち合わせ。思ったよりも早く終わった。


麹町から有楽町線江戸川橋へ。EDIの事務所。集合時間より30分早い。迎えてくれた松本ハチローさんに、「原稿は最後だけど、来るのは早いです」という自虐的な冗談を云う(笑えず)。こないだ松本さんがスムース文庫で、『加能作次郎 三冊の遺著』を出し、そこで櫻井書店について触れたところ、その直後に、櫻井毅『出版の意気地 櫻井均と櫻井書店の昭和』(西田書店)が出て、驚いたというハナシをする。じつは、今年春に武蔵大学の図書館を取材したところ、櫻井均の長男である櫻井毅氏が学長を勤めていたと知り、松本さんに伝えたコトがあるのだ。そのうち、大阪からいらっしゃった春日井均さん、矢部登さん、曾根博義さん、盛厚三さん、竹内栄美子さんと『サンパン』の主要執筆者が揃う(セドローくんは明日からの早稲田青空古本市の準備で欠席)。今日は、『サンパン』の発行継続について話し合う集まりなのだ。


まず松本さんより現状の説明。デザイン事務所としての受注が減って、いまの人数(FさんとMさん)を維持するのが厳しくなり、Mさんが退職して別のところに移られた。そして、デザイン事務所としての「エディトリアルデザイン研究所」はFさんが受け継ぎ、松本さんは出版社「イー・ディー・アイ」だけを運営するということ。これだけ見れば、早稲田からいまの事務所に移ったときに発表した体制(松本さんは自宅で仕事)とほぼ変わらない。しかし、Mさんがヤメたことで、Fさんの仕事は過重になり、一方、松本さんもこれまでスタッフ2人に頼ってきたことをかなりの部分、ご自分でやらねばならなくなる。『サンパン』の発行継続問題とは、資金のこと(これも大きな問題だけど)よりも、社内体制の変化によって思うように発行できなくなるのではないか、という松本さんの懸念が大きいようだ。


その後、場所を近くの飲み屋に移して、話す。後ろの席のおじさん、おばさんの声が強烈にうるさくて、しばしば会話がさまたげられたが、結局のところ、今日の参加者の共通見解として、資金面のコトは各自の負担増などで協力し、それ以外のところでも手伝えることは手伝う。その上で、多少刊行が不定期になっても、これまで通りEDIに編集・デザインをお願いしたい、ということになった。ありきたりの結論だし、松本さんの負担軽減にはならないと思うけれど、ハチローさん、がんばってください。ぼくももうちょっと早く原稿を入れるようにしますから……。深刻な話ばかりではなく、曾根さんの教え子・森洋介さんを曾根さんと二人でハチローくんに売り込んだり、矢部さんが結城信一がらみで興味深い雑誌にぶつかったハナシを聞いたり、盛厚三さんから『北方人』をいただいたり、と楽しくも勉強になる場所である。こういう人たちのつながりを生み出したというだけでも、『サンパン』の存在価値はあるし、この先ももうしばらくは、そういう役割を果たしてほしいと願う。お土産に、EDI叢書第二期が収まる特製タトウをいただいて、先に店を出る。ウチに帰ると11時。明日は早稲田に行く。