「宅買い」ふたたび

昨夜も蒸し暑く、眠れずに、ビデオでハワード・ホークス監督《バーバリー・コースト》(1935、米)、プレストン・スタージェス監督《サリヴァンの旅》(1942、米)を観る。《サリヴァンの旅》は、金持ちが気まぐれで貧困の世界を見聞するというよくあるハナシを、前半で明るく、後半でディープに見せる。当然、後半がオモシロイ。


10時過ぎに起きて、本の整理。だんだん隠された領域が見えてきた。この先、ナニかに使えそうもない貼込帖や洋雑誌などは、思い切って処分する。午後までやったら、疲れてしまい、しばらく眠る。締め切りの原稿があったのだが、とても手がつけられなかった。あと、アテネ・フランセ中平康の映画も観たかったが、断念。その後も、チョコチョコと片づけて、最終的に550冊ぐらいにはなったか。


7時半に、セドローくんと牛イチローくんが登場。イチローくんは、美術館の図録や映画や歴史のムックに熱狂。さっそく仕分けにかかっていた。ぼくがいると邪魔なので、奥でもう少し整理をする。そしたら、また数十冊処分したい本が出てきた。2時間ほどで、仕分けを終え、縛った山が積み上がった。ぼくが漫然と積み上げたときよりも、スペースが有効に使われている。さすがはプロだ。今日はこのままにしておいて、金曜日に取りにきてもらうことに。


今日は前回売った分の支払いがある。15万近くの売上で、ふたりの手数料と事務処理料を差し引き、さらに、今日行けなかった新宿展で注文していた本の代金を支払って、9万4000円ほどが手元に残った。新宿展で買ったのは、花森安治装丁の川奈美智子『こんな日こんなとき』(現代社、1958)と、横田順彌『日本SFこてん古典』全3巻(集英社文庫)。前者はけっこう珍しい。後者は、1巻は単行本で、2、3巻は文庫本というヘンな持ちかたをしていた。


3人で西日暮里駅近くのスペイン料理屋〈アルハムブラ〉へ。ココはステージがあって、フラメンコショーをやってたり、妙に薄暗かったりする。今日は音楽もヘンで、スペイン料理なのに、ケミカル・ブラザーズとかがかかっていた。ただ料理はうまく、サングリアを飲みながら、タコのカルパッチョやパエリヤを食べる。


11時にお開きになり、ウチに帰る。眠いのだけど、なかなか眠れない。仕方がないので、けもの道で発見された、『芥川賞直木賞のとり方』という本を読む。著者は百々(どど)由紀男という人で、ベレー帽をかぶった写真がアヤシイ。版元も出版館ブック・クラブという聞いたことのないところ。内容もすごい。冒頭にマンガがあるのだが、受賞したら、都内の億ションに住んで、美人の秘書をはべらせ、大ベストセラーになって、銀座のクラブで飲み、三流出版社との付き合いは切って捨てる、という、まさに世間が思うところのステレオタイプそのまんま。本文ではコレをひっくり返してくれるのかな、と思ったが、ほぼこのママを文章で書いているだけなので呆れる。だいたい、作家と思えないほど、文章がヒドいぞ。

受賞作品は単行本となり、全国津々浦々、読者が買い求め、図書館に並び、次々と執筆、講演、テレビ出演の依頼が舞い込み、まさに
〈富と名誉を掌中に! 〉
収めることになる。(略)その他有形無形のメリットがあり、駄作を書いても、
〈芥川(直木)賞受賞作家−−〉
というレッテルは生涯消えることはない。


池波正太郎を真似たのか、意味のない改行をした上に、〈 〉でくくり、ビックリマークで強調(そのあと意味なく1字アケ)。つながってない文章も多い。明らかな事実誤認もある。文中に出てくるのも、いくつかを除くと、戦前のハナシばかりで、現代性がない。芥川賞は「主人公が作者の分身で、ささやかな“私”の日常生活を語っていてもいい」とは、イツのハナシだ、そりゃ。しかも、芥川賞直木賞を受賞してない作家は作家に非ず、と云いながら、本人は履歴で堂々と「作家」を名乗ってるのはギャグのつもりか。


そもそも、芥川賞にしろ直木賞にしろ、公募制じゃないので、素人に「とり方」が云々できるものじゃないだろう。だから、この本でも結局、新人文学賞の対策(それも「文字は綺麗に書け」程度の)でしかない。最後に、もっとも笑えた部分を。

厚手の大学ノートを、文具店で買い込み、表紙に
〈創作ノート・1〉
としておくと、大作家気分になれるから不思議だ。将来自分が芥川・直木賞を取り有名人となって、さらに芸術院選賞から文化勲章の栄誉に輝くとする。そのとき自分の作品を早稲田や慶応の文学部学生が、卒論のテーマとするかも知れない。となると近代文学館に寄贈されたこの「創作ノート」は、貴重な文献として文学史家に評価されるかも知れぬ……
なんて想像するのは楽しいものである。実際は引っ越すとき子供や孫が、チリ紙交換に出してしまうかも知れないが、作家を志す以上、これくらい気分を雄大にしたい。


雄大」というよりは、ただの誇大妄想だと思うが、「実際は」と書いてしまう現実感が、泣かせる。こんな本読んで、ホントに作家を志すヒトがいたとしたら(メッタにいないと思うけど)、罪深いと思う。3時過ぎてから、ようやく眠くなった。