500冊をご用意

この数日、ずっと本の整理をしている。売る本は、ふだん寝起きする部屋に積んである。旬公の留守で、わずかにできたスペースを、本の山が占領しているのだ。あまり高く積むと、布団を出したり電話を取ったりするのにジャマなので、単行本なら25冊、文庫本なら40冊ぐらいが限度である。だからさほど高くはないのだが、その山が20ぐらいあるのだから、ヨコで寝ると圧迫感があり、あまり安眠できない。


今日も早めに眼が覚めて、本の整理を。あっちを下ろしたり、こっちを引き出したりしていると、窓を全開にしても汗が噴き出す。昼飯のときと、買い物に出たとき以外は、本を動かしていた。売る本は、そうだな、文庫や美術館のカタログなどを合わせて500冊ぐらいになったろうか。


奥のほうから、買ったまま忘れていたり、必要なときに出てこなかった本や雑誌が、続々と出てくる。現在ライターとして活躍している、木村衣有子さんのミニコミ『marie madeleine』1、3、4号(2号は見つからず)、近藤正高さんの『ZAMDA』創刊号とか、ゲイミニコミ『KICK OUT』、いまはサイズが変わっているはずの『貧乏人新聞』(法制の貧乏くささを守る会)10号とか。大阪で出ていたマンガ同人誌『あっぷる・こあ』創刊号(1972年)も見つかる。ココに、先日のJR脱線事故で亡くなった雑賀陽平さんが「白い人」「笑耗」という二本のマンガを寄稿している。


ほかにも、かなりの量のミニコミがあったが、半分ぐらいは捨てるコトにした。実家にもミニコミだけで数箱分あるし、古本としても値がつくものではない。よっぽど貴重なものは、一冊ずつ「古書モクロー」で売るとして、あとはエイヤッと資源ゴミの箱に入れる。コレらの中にも50年ぐらい経ったら、貴重な資料になるモノはきっとあるのだろうが……。大量の古本や紙モノをのちの世に継承するためには、十分な空きスペースがあり、その中で何世代か「死蔵」されるぐらいの余裕があるコトが必要だ。しかし、いまのぼくにはそれらを持ちきれなくなってしまった。残念なことである。


今日は実家にも4箱、宅急便で送った。その中には、二年間ぐらいかけて集めた古山高麗雄の単行本が二十数冊入っている。数冊を除いてはだいたい集まったので、これからゆっくり読もうと思っていたのだが、スペース捻出のため泣く泣く送った。古山の本で手元に残したのは、数冊の随筆集のみである。


先月は休載してしまったメルマガ「早稲田古本村通信」の原稿を書いて、送る。そのあと、晩飯(豚コマとコンニャク炒め)をつくって食べながら、テレビの映画《グラスハウス》(2001、米)を観る。まあ、そこそこ。そのあとも、隠された(というか前に本やモノが置かれていて隠されてしまった)棚の探索を続ける。