『作家の椅子』が身に沁みる

ここ2週間ほど、図書館で借りたミステリ小説ばかり読んでいた。芦辺拓恩田陸黒川博行東野圭吾鯨統一郎有栖川有栖……。鯨(つまらない)と有栖川(どうも肌に合わない)以外は好きな作家だし、おもしろく読んだのだけど、もう少し腹にたまる文章が読みたいと、積んである本を見渡してみる。そして手に取ったのが、野口冨士男の『作家の椅子』(作品社)だった。


この本は野口の初めてのエッセイ集で、これまで謦咳に接してきた作家の作品やエピソードを語りつつ、作家としての自己を語るというもの。一編が短いので読みやすい。十返肇和田芳恵高見順らについての文章もイイが、冒頭の「自伝抄『秋風三十年』」が素晴らしい。野口は1950年に、敬愛する徳田秋声の年譜と、小説に書かれた事実との違いに気づき、自分で年譜を作り直し、さらに伝記に取り組みはじめた。決して楽ではない生活の中で、資料を集め、関係者に手紙を書き、金沢にも足を運ぶ。やっと書き始められると思ったら、腱鞘炎に罹ってしまう。1964年に書き上げ、『徳田秋聲傳』という書名で筑摩書房から出版される。そこで書ききれなかった題材をまとめて、1978年に『徳田秋聲の文学』としてやはり筑摩から出すことになっていたが、「いよいよ終わりという原稿を渡す日」に、編集者から「筑摩書房が倒産しました」と聞かされる。


もう、読んでるだけで胃が痛くなる。自分が小説家であるであることに、人一倍誇りを抱いているのに、小説を書くことを棚上げして、ひとりの作家の生涯を追って、ホントに30年かけてしまうんだもの(秋声にいちおうの区切りをつけたあとは、多くの小説を書くのだが)。「我が家には『秋聲』という同居人がいた」と書いているが、誇張でもなんでもないだろう。この粘り腰は見習わねば。今後、何度でも読み返したい文章である。


昼はパスタ。ボンゴレビアンコ。白ワインがないので赤ワイン、ニンニクだけじゃ寂しいので、シメジを投入。まあまあか。2時に出て、有楽町へ。交通会館の〈三省堂書店〉を覗くが、何から何まで「ほどほど」に徹した店である。エレノア・コッポラ『「地獄の黙示録」撮影全記録(ノーツ)』(小学館文庫)は見つからず、四丁目交差点の〈ブックファースト〉へ。ココで見つかったが、小学館文庫の棚がわずか2段分しかないのに驚く。そういえば、あまり新聞広告も見なくなったし、もう撤退気味なのだろうか? 『本の雑誌』7月号も一緒に買う。高野ひろし「銀の輔本の旅」で、「一箱古本市」について書いてくれている。オヨヨさんは「ワイルドな平井堅みたいな格好いいお兄さん。声なんかソックリですよぉ」とのこと。


歩行者天国の通りを歩き、〈木村屋〉でカレーパンを買って、道路脇に座って食べる。そのあと、今日橋のフィルムセンターに入り、開場まで並んでいると、吉田勝栄さんが通りがかった。彼も映画を観にきたという。いまやってるのは映画監督・豊田四郎特集。入場してから、『作家の椅子』の続きを読む。ココに出てくる豊田三郎という作家は、豊田四郎の兄弟だったような曖昧な記憶があり、だから豊田四郎は谷崎・志賀・織田作と小説の映画化を多く手がけたのだなと、勝手に納得していた。しかし、ウチに帰ってから、文学事典を調べたら、まったく無関係で、豊田四郎のほうが豊田三郎よりも一歳年長であった。アブナイなあ。


さて、今日観る映画は《男性飼育法》(1959)。三宅艶子の原作。森繁久彌淡島千景の夫婦の性のすれ違いを描くコメディ。とはいえ、冒頭でモリシゲが珍妙な風呂(温浴と水浴の二つの浴槽があり、その間をエレベーターみたいなので自動的に移動する)に入っているシーンは笑えたが、あとはほとんど笑えず、途中で眠ってしまった。一瞬、いびきもかいてしまったかもしれない。終ってすぐ会場を出て、銀座線に乗り、御徒町で乗り換えて帰ってくる。


しばらくゴロゴロして、晩飯(惣菜のメンチカツ、ホーレンソウのおしたし、キャベツのスープ)を食べながら、ビデオでフリッツ・ラング《真人間》(1938)を観る。中原昌也『続・エーガ界に捧ぐ』で出てきたので、借りてきたのだが、うーん。ちょっとツラかった。口直しに、また『作家の椅子』を読む。