なかなかスリムになりません

朝9時から、本の整理を開始。今日は3時にセドロー牛イチローのコンビが買い取りにきてくれるのだ。そんなの数日前からやっとけよ、と思われた方は、きっと家に十分なスペースのある幸福な暮らしをされているのでしょう。こちとら、布団を敷く場所以外には、本を積んだり、仕分けをしたりできるスペースは、まったくないのです。よって、病み上がりの旬公を谷中のアパートに追い出して、居間のわずかなスペースを確保してから、ようやく作業にかかれるという状態なのだった。


今日の目的は、とにかく量を減らすこと。なんとか数百冊処分して、空間を捻出せねば、他の場所に置いてある本が受け入れられない。そこで手始めに積んである本の山から不要本を抜き出す。しばらく前から、この先やる仕事=私事のテーマにあわせて、所蔵する本のジャンルを絞ろうと思っていた。挙げてみると、【1】書物(新刊・古本)に関するもの、【2】出版史に関するもの、【3】ミニコミに関するもの、【4】コレクター・コレクションに関するもの、【5】文学・文壇史に関するもの、【6】自分の編集の仕事に関わるもの、となる。おお、なんと明解な分類だと喜んで、いざその範囲外の本をどんどん外そうとしたら……。できない。ジャンルを絞ったつもりでも、よく見れば、けっこう広い範囲のままなのだ。たんに好きだというだけで買い集めてきた、古山高麗雄30冊とか、植草甚一60冊とか、尾崎一雄50冊(全集含む)とかも【5】に入るといえば云えるし、これらのジャンルそのものでなくても微妙に関係する本(たとえばデザインや広告の本)もけっこうある。自分の仕事の範囲に合わせた本だけ残す、という方針は、その仕事自体が絞りきれてないのだから、机上の空論なんであった。


午前中、ジャンルで減らすよう努力したが、200冊程度にしかならない。これだと入口の床かが見えるだけだ。まずいと思い、今度は、図書館に所蔵がある本や古本屋ですぐに見つかりそうな本、つまりこの数年に出た本を外す、という方針で、山を漁った。これで100冊ぐらい。そして、古書展などで装幀がいいとか変わったタイトルの本だからという理由で買った本(100〜500円)を外した。佐野繁次郎の装幀など何冊かあったけど、そういう観点で本を買うのは分不相応だと諦めて、売ることにした(別の場所にある花森安治装幀本だけは温存)。これが50冊ぐらいか。シメて350冊。30冊ずつの山が12、13できた。


ココまでやったら、へとへとに疲れてしまう。せめて500冊は減らしたいと思っていたが、もう2時半になったので、諦めるコトに。しかし、未練というか、山の一番上に積まれている本を手にとって、「これはすぐ読めるから読んでから売ろう」とか、「ちょっと目次のエッセイのタイトルが気になるから」と、4、5冊を残すほうに回してしまった。犬は飼い主に似てくる、というが、ぼくの蔵書もぼくに似て、なかなかスリムになりません。


3時にセドロー牛イチローコンビが来宅。いつものごとく、あざやかな手際で、ジャンル別に山をつくり、仕分けていく。ぼくはさっきの作業で消耗してしまい、黙ってそれを眺めていた。セドローくんの日記(http://d.hatena.ne.jp/sedoro/20050606)にも「ちょっと疲れ気味」と書かれてしまった。愛想がなくてゴメン。イチローくんが、「この本、市場に出しますけど、たぶんかなり〈ささま書店〉の均一に並ぶと思いますよ」と云うので、「だったら、オレ、買いに行くよ!」と答える。まだ病気は治ってないな。


二人を送り出してから、ちょっとヨコになる。旬公が帰って来たので、不忍通りのイタリアンの店に食べに行く。テーブルが空いてなくてカウンターに座ったが、かえって気楽でよかった。ワインを飲み、うまいピザを食べたら、ようやく元気になった。