佐野繁次郎の「シワ」

午前中、東京駅の〈東京ステーションギャラリー〉に行く。4月から開催されていた「佐野繁次郎展」だが、取材旅行に出たり「一箱古本市」の準備があったりで、なかなか行けなかった。残り5日というところでようやく間に合った。展示とともに気になっていたのが図録で、ひょっとして売り切れたんじゃないかと心配だったが、こっちも売店にまだ積んであったので、安心して展示を観るコトができた。


今回の展示は、油彩画、コラージュ,デッサン、装丁、商業デザインなどを網羅した大々的なもの。以前、鎌倉の神奈川県立近代美術館学芸員の橋秀文さんにお会いしたとき、佐野の仕事の全体像をみわたす展覧会がやりたいとおっしゃっていた。その橋さんも協力されている。ぼくは抽象画が苦手なのだが、佐野繁次郎の絵は、抽象的でありながら具体的なイメージを喚起させてくれるので好きだ。グロテスクでもありユーモラスでもある。また、カンバスに布や針金を貼り込む手法(「パピエ・コレ」というらしい)を通して、佐野の手や息づかいが伝わってくる。絵のヨコに、佐野のエッセイやインタビューからの引用があるが、「とにかく僕はシワが好きだ。……その方が何か紙と人間の関係が出ているでしょう」というコトバが印象に残った。


ポスターにも使われている「画家の肖像(死んだ画家)」は、神奈川県立近代美術館の館蔵展で一度見ているが、この作品がパリ時代の友人の画家、金山康喜の死を受けて描かれたものというのは、はじめて知った。会場には、同じモチーフと思われる「ある画家」も展示されていた。また、横光利一の『旅愁』『刺羽集』の装丁は、佐野の油彩画「画室」(または「アトリエ」)シリーズで飾られているが、これは渡欧から同じ時期に帰国した二人の合作ともいえるそうだ(図録の小池智子「佐野繁次郎横光利一の交友」参照)。なお、佐野の装丁本は65点ほど出品されていたが、図録の参考文献には219点が挙っている。いつか、その全貌が見たいと思う。今回出品された中で、ぼくが持っているのは、横光利一『機械』(創元社、1935)、同『刺羽集』(生活社)、同『鶏園』(創元社)、同『花花』(山根書店)、『新日本文学全集』(改造社)数巻、丹羽文雄『理想の良人』(風雪社)、渡辺紳一郎『巴里博物誌』(東峰出版)、ピエール・ダニノス『見るもの食うもの愛するもの』(新潮社)、船山馨『蘆火野』(朝日新聞社)というところ。展示を見ていちばん気に入ったのは、松本清張『小説帝銀事件』(文藝春秋新社)。このヨレヨレの書き文字がイイのです。


図録(2000円)と絵葉書(通信に使おうと思って15枚も)を買い、スグ近くの「OAZO」に入っている〈丸善丸ノ内本店へ。オアゾだのウオモだの、最近のネーミングは日本人がフツーに発音できる範囲を超えてるな。ココの丸善は二度目だが、どうも好きになれない。ブラブラ回って本を眺めることがしずらいし、かといって目的の本が探しやすいワケでもない。どっちつかずなのだ。探そうと思っていた本は何冊かあるのだが、断念して、佐藤嘉尚『「面白半分」快人列伝』(平凡社新書)だけを買う。そのあと、仕事場へ。ゲラ直しに原稿の催促。そろそろタイヘンになってきた。


7時過ぎに出て、市ヶ谷の〈文教堂書店〉へ。こないだエッセイを書いた『本の雑誌』6月号が並んでいたので、手に取る。「台北の古本博士に会った日」というタイトルで、戸川安宣さんと津野海太郎さんの連載にはさまれて掲載されていた。同誌には、名前が出たことはあるが、原稿を書いたのは初めて。「台北モクローくん」こと傳月庵(フ・ユエアン)さんとぼくのツーショット写真が載っているので、ぜひ見てください。店内で、今柊二さんと筑摩書房のMさんと待ち合わせ、近くの中華料理屋へ。今さんはちくま文庫で『定食ニッポン』を出したばかり。二人である企画をやろうというハナシになる。実現したら楽しい本になりそう。


11時過ぎまであれこれ話し、ウチに帰ったら12時前。旬公と〈サミット〉に行き、コーヒーなどを買ってくる。今日は何歩歩いたかな? と万歩計を見たら、日付けが変わってしまっていた。昨日は8000歩と少なかった。


【お願い】
先日「不忍ブックストリート」のサイト(http://yanesen.org/groups/sbs/blog/0502/view)で、一箱古本市へのご感想・ご意見を募集しましたが、まだ10通ぐらいしか集まっていません。一言で結構ですから、参加した感想を送っていただければ。ご自分のサイト・ブログですでに書いたコトでも結構です。なるべく多くの方の声を、公式サイトに載せたいと思います。
感想の宛先は、
horo@yanesen.net
まで。
締め切りは5月10日でしたが、しばらく延ばします。
どうぞよろしくお願いします。