「宅買い仲介屋」宣言

朝、インドから旬公の荷物が届く。ぼくが愛用していて破れてしまった、ソウルの僧侶用のズダ袋を見本にして、インドでつくらせた袋を二つもらう。さっそく荷物を入れてみるが、イイ感じ。ウチから1分のところにある喫茶店へ。カフェオレとピザトースト(300円という安さなのにウマイし食べでがあった)。女性店主に、「不忍ブックストリート」の一箱古本市の場所を提供してくれないかとお願いし、快諾をいただく。コレで根津から西日暮里まで、不忍通りを中心としての一箱古本市コースができあがった。


12時過ぎてしまったので、慌てて千代田線で新御茶ノ水に出る。〈書肆アクセス〉で『大阪人』2月号と、藤岡大拙『出雲人』改訂版(ハーベスト出版)を買い、畠中さんとのハナシもそこそこに、半蔵門線に乗り込む。車内で『大阪人』の特集「モダニズム心斎橋」をパラパラ。〈貸本喫茶ちょうちょうぼっこ〉(http://www.nk.rim.or.jp/%7Eapricot/chochobocko.html)の日記で、同名の展覧会が「大阪市近代美術館(仮称)心斎橋展示室」(しかし長い名前だこと)で開催中であること、大阪の画廊「柳屋」についての展示があったというのを読み、がぜん興味が湧いていた。柳屋については、以前にこの日記で触れたコトもあるが、大阪の美術史はもとより、趣味史からも出版史からも非常に興味深い存在だ。特集で柳屋について書かれている熊田司氏は、近代美術館建設準備室のヒトらしい。柳屋は板祐生とも密接なつながりがあり、こないだ、鳥取の南部町〈祐生出会いの館〉(http://www.showa-corp.jp/toshakan/ita/deai/deai.html)の稲田さんが、今度大阪から柳屋の研究者が館に来ると云っていたが、この方のことだろうか。


渋谷から田園都市線に直通。桜新町で降りる。それにしても、この線はずっと「新玉川線」だと思いこんでいたが、すでに4年も前に名称変更していたようだ。この線にはめったに乗らないからなあ。歩いて5分ほどで、八巻美恵さんのお宅に到着。今日は〈古書ほうろう〉の宮地さん夫妻が、ここの蔵書を買い入れるのだ。一階には単行本と文庫、漫画、二階には文学全集が積まれていた。八巻さんから相談を受けたとき、文学書や文庫が多いということで、ほうろうならイイだろうと思ったのだ。これがもう少しカタい本が多かったら、たぶんセドローくんを紹介しただろう。


ときどき、知人からこういう相談を受けることがあるので、今回からぼくも仲介のごほうびをいただくコトにした。と云っても、その古本屋さんが買い入れる前の本からぼくがほしい本を一冊だけ頂戴する(その本の評価額は買い入れ額に参入する)というだけの、ま、ゲームみたいなものだ。今日は初めてなので、どんな本にしようかと迷うが、マンガの山の上に、竜巻竜次『テイク・イット・イージー』(チャンネルゼロ)があったので、それにする。竜巻さんの単行本で、これだけ持っていなかったのだ。ウレシイ。しかし、そのあと、本の箱詰めを手伝っていると、さっき見えなかった奥の山にもナカナカ良さそうな本があった。古書価としてはそっちのほうが高そうだな、というさもしい思いがかすめるが、商売じゃないんだし、読みたい本をもらうのがいちばんイイ。


まだ積み込みは続いているが、途中で失礼して駅へ。駅前の〈増田屋〉(外苑前の店と同じノレンだろうか)で、鳥南蛮そばを食べて、新玉川線、いや田園都市線で永田町まで行って、有楽町線で乗り換えて市ヶ谷へ。仕事場の前の喫煙所に、『ユリイカ』のKさんが待っていた。中に入ってもらう。4月号でブログ特集を組むとかで、その打ち合わせ。この日記について書いてほしいと云われ、ナンにも考えずにやってるのでとまどうが、書いてみるコトにした。Kさんは、つば付きの帽子をかぶったなかなかダンディな方で、風貌がちょっと荻原魚雷さんに似てる……気がする。Kさん帰られたあと、インタビューまとめの仕事。匍匐前進の状態。適当に切り上げ、ウチに帰って、少し寝る。晩飯(ひき肉とモヤシ、セリの炒め物)を食べながら、DVD《悪霊島》(1981、篠田正浩監督)を観るが、途中で飽きてしまう。


そのあと、スティーヴン・キング呪われた町』下巻(集英社文庫)を最後まで読む。小林信彦の読書エッセイを読み返していて、何度もキングのこの長篇のうまさに触れられていたので、気になって再読(大学生のとき、一度読んだ)。たしかにウマい。偶然だが、ここ数日、横溝正史原作の映画を観てたので、アメリカと日本の恐怖の感じ方の違いなどを考えた。もうひとつ、オモシロかったのは、舞台となるジェルーサレムズ・ロット(セイラムズ・ロット)という街の描きかただ。初読のときには、アメリカの典型的な田舎町だとしか思わなかったが、キングはこの町を次のようにきちんと設定している。

この町はポートランドとルーイストンとゲイツ・フォールズのベッド・タウン的性格を持っている。町にはこれといった産業がないから、会社や工場の欠勤者の増加が目立つということもない。学校は三つの町の合同だから、欠席者がふえてもだれも気がつかない。カンバーランドの教会へ行く人間は多いが、行かない人間のほうがそれ以上に多い。それにテレビが昔ながらの隣近所の寄合いを追放してしまい、顔を合わせるのはミルトの店にたむろして油を売る連中だけだ。(87ページ)

つまり、根無し草の生活者が多いということだ。それに、恐怖の中心地である古い館を管理している不動産屋は、トレーラーハウスの販売で一山当てた人物だ。だから、町には低所得のいわゆる「ホワイト・トラッシュ」が多い。トレーラーでの生活者のことは、マイケル・ムーアの映画や町山智浩の本を読んで知ったのだが、こういう設定が1975年のアメリカの読者にとっていかにリアルだったか。そうやって背景を用意した上で、もっとも古い恐怖小説のパターンを甦らせたキングの巧妙さには舌を巻く。と同時に、セイラムズ・ロット的な町は、バブル以後の日本の地方都市とかなり似ているように思う。この辺の恐ろしさをうまく描いた小説として、いま思い浮かぶのは、宮部みゆきの『理由』である。読み返してないから確実なことはいえないが、あの小説はセイラムズ・ロット的な人間関係のコワさを描き出していたように思う。昨日買った『ファスト風土化する日本』を読んでから、この辺のコトはまた考えてみたい。


【今日の郵便物】
★古書目録 新宿展、古本倶楽部(中野書店)