砂上の楼閣、崩れ落ちる

朝刊で、元『中央公論』編集長の笹原金次郎氏の死去を知る。84歳。中公退社後に政治家になったヒトだ。新聞記事には笹原がいつ編集長だったかが書かれてないので、ネットで検索するも、引っかかってくるのは訃報記事ばかりで、どれも判で押したように同じコトしか書かれていない。中公の社史『中央公論社の八十年』(1965年)を引っ張り出して、確認しようとするがこの本には索引がないので、探しにくい(しかも40年前で時間が止まってるし)。


それでも、パラパラめくって、以下のような記述を発見。まず、昭和29年の『中央公論』について。

一方、創作欄には一回百枚、四回完結という新形式の連載をはじめた。第一回は三島由紀夫の「沈める滝」であり、この連載形式の発案者は笹原金次郎であった。笹原は、嶋中鵬二といっしょに、『文芸特集』と編集していて、そのころ数のすくなかった文芸記者の一人であった。(341ページ)

この『文芸特集』というのは、昭和24年から『中央公論』の臨時増刊として出されたもの。年譜によると、昭和28年じゅうでこの『文芸特集』は終っているようだ。この増刊の作家とスタッフが、中公本誌に吸収されたと思われる。しかし、ぼくが笹原の名前を覚えたのは、この時期よりももっと後、昭和36年2月の「風流夢譚事件」のあたりだ。右翼団体からの抗議に対応したのが、嶋中社長と笹原次長であり、事件当時の編集長だった竹森清に代わって、笹原が編集長を引き継いだ。社史には「笹原は混乱から発生した各方面からの批判をまともにあびながら、慎重に編集をおしすすめていった」とあるが、この辺りの事情を、粕谷一希が回想録『中央公論社と私』(文藝春秋)でもっとエグく描き出していたように記憶する(手元に見つからないが)。


10時にウチを出て、市ヶ谷の〈文教堂書店〉で、篠原章『日本ロック雑誌クロニクル』(太田出版)を見つけて買う。『ミュージックマガジン』、『フォークリポート』、『ロッキングオン』、『宝島』(ある時期の)などの音楽雑誌の関係者に聞き書きし、それぞれの歴史をたどっている。こないだ、大阪のチンこと前田和彦くんのウチで見た『ロックマガジン』も登場している。『クイックジャパン』連載時には読まなかったような気がするので、じっくり読んでみよう。


仕事場に行き、依頼や資料づくりなど。国際ブックフェアへの出品を20数社に呼びかける依頼状を、加賀谷さんと手分けして発送する。版元ごとに文面が違うし、送る部署も調べなければならない。加賀谷さんがテキパキ進めてくれたので助かったが、こういうのをやるのはいちばん苦手だ。7時ごろ出て、ウチに帰ると、父親から電話。今日新しい家の棟上をやったそうだ。道路拡張に引っかかって、少しはなれたところに家を建てることになったのだが、もっと先のハナシかと思ったら、どんどん進んでいる。父親はコレが自分の手で新築する最後の家になるだろうから、張り切っている。年末に帰省したときには、もう屋根の瓦が乗っている予定だとか。


テレビを見ながら、いま企画にあがっている著者の執筆誌を探す。手近なトコロに積んであったはずなのに、見つからない。枕元にA5判雑誌を積み上げた山があり、そこにあるかと、山を移動させているうちに、空いた空間に向って、その隣の山(書類やら手紙やらがゴッチャに詰まれている)が崩れてくる。一方、右側の山(B5判雑誌が積まれている)はナゼか逆方向に崩れていく。一瞬のうちに土砂崩れ。「砂上の楼閣」とはこのコトか(違いますね)。


【今日の郵便物】
★さっぽろ萌黄書店より 宇井純『公害自主講座15年』亜紀書房、2100円