畏れるべき(?)ヨメ

今週は旬公が毎朝、品川に取材に行っているので、必然的に早起きになる。今朝は松坂屋で「『銀座百点』創刊600号記念展」を見るため、銀座に出かける。この展覧会のことは、昨日のフジタさんの日記(http://d.hatena.ne.jp/foujita/)で知った。「1955年の第1号を復刻したものと1996年の500号記念号を2冊セットにしたものを、募金していただいた方に」くれるとあったので。それにしても、フジタさんは「戸板康二道」を極めるとともに、じつによく街を歩いている。ネットだけで情報収集しているblogとは違い、フジタさんの日記には足で拾った話題が記されていて、いつも参考にさせてもらっている。


有楽町駅に着いたのは9時10分前。交通会館前の〈三省堂書店〉はまだ開いてない。歩いて〈教文館〉の前まで行くと、開店2分前。ちょっと待って、開いたらスグ中に入る。『本の雑誌』1月号を探すが、まだ並んでいない。次に新橋方向に歩き、〈福家書店〉に行くが、ココにも『本の雑誌』はない。まだ取次から届いてないのだろう。松坂屋で展覧会見ようと思って前まで行くと、ナンと10時半開店だった。銀座のデパートはどこも10時開店だと思い込んでいた。時間余っちゃったなー。しょうがないので、隣の銀座コアの〈ブックファースト〉を覗く。やっぱりココにも『本の雑誌』はなし。秋本治両さんと歩く下町』(集英社新書)と竹山昭子『ラジオの時代』(世界思想社)を買う。


10時25分になったので下に降り、松坂屋の前で開店を待つ。開いてスグ7階の催し場へ。展示はパネルが中心だけど、『銀座百点』に載った池波正太郎(あの〔〕や〈〉が原稿通りだと確認できた)や三島由紀夫の生原稿、連載をまとめた本(色川武大『なつかしい芸人たち』も同誌の連載だったのか)なども展示されていた。佐野繁次郎から秋山庄太郎/濱谷浩の写真を経て、風間完脇田和(この人がいちばん長い)、そして現在の小杉小二郎に受け継がれる表紙を600点並べているのもイイ。見終わって受付で、「復刻版はどこでもらえますか?」と聞くと、昨日で無くなったという答えだった。残念、せっかく来たのになあ。まだ発行元に在庫があるのなら、有料で販売してほしいものだ。


丸ノ内線で大手町まで行き、半蔵門線に乗り換え、神保町。〈書肆アクセス〉でやっと『本の雑誌』を手にする。ココは地方小のセンターから直接搬入されるので、他店より一日は早く入るのだ。『本の雑誌』がいつも買ってるけど、発売日なんか気にしてない(というか、『噂の真相』と一緒の日に買っていたので、ウワシンが廃刊してからどうでもよくなった)。それなのに、今日はどうしてかと云えば、昨夜アクセスの畠中さんが旬公に、「2004年ベスト特集の読者が選ぶベストに『ナンダロウアヤシゲな日々』が入ってますよ」とメールで教えてくれたからだ。そのページを見ると、たしかに「読者が選んだベスト1」の冒頭にあった。水戸市の伊藤聡一さん、ありがとう。しかし、「書物原理主義者たちの教祖」はいくらナンでも云い過ぎでしょう。だいたい原理主義の意味がちょっと違うと思うぞ。「奥さんがあの内澤旬子なのですから畏れるのみ」とありますが、「あの」で読者に判るんだろうか、心配。それにしても、旬公を妻に持ったコトで「畏れられる」とは思わなかった。


電車の中で、原寮〔上のかんむりはナシ〕『愚か者死すべし』を読み終える。うーん。話そのものよりも、探偵がストイックな態度を取って、それを別の登場人物が賞賛したりする、というシーンが頻繁に出ているのがなんだかイヤだ。以前の長篇にはさほど厭らしさを感じなかったけど、今回はなぜかやたらと気になった。同じハードボイルドでも東直己にはそういう厭らしさはあまり感じない。ハードボイルドのナルシズムを茶化すところから始めているからだろうか。仕事場に行き、資料のコピーを取ったり、手紙を書いたりする。


6時過ぎに出て、西日暮里のコンビニでカラーコピー。〈はやしや〉でビール一本飲んで、ウチに帰り、小沢信男さんのお宅に自転車で行き、お借りした資料を返却。またコンビニでコピーを取って、投函し、ウチに帰る。晩飯は、里芋とひき肉とレンコンの煮物。ワリとうまくできた。旬公が観てるので、一緒に《黒革の手帖》の最終回を観てしまった。新聞や雑誌を縛って、ゴミ捨て場に出す。すっかり寒くなったなあ。明日は午後から神戸に行く。


【今日の郵便物】
★東京書房