今年最後の「BOOKMANの会」

朝、風呂に入って上がったら、携帯に電話。右文書院のAさんで、「とりあえずゲラを組みました」と。一瞬絶句してしまう。だって、打ち合せしたの三日前だよ。土日かけて組んでくれたのだろう。もちろん仮ゲラなので、全体を見て、もう一度ゲラを出しなおしになるだろうが、まずは送っていただくことにする。ちょっと遅れて仕事場に到着。遅れに遅れている原稿やら、今日発表する要旨などをまとめる。後者はできたが、前者は難渋しつつ進まず。

ジュンク堂書店〉の福嶋聡さんから手紙。『ナンダロウアヤシゲな日々』で何度か名前を出した浅田修一(『神戸 最後の名画館』の著者)が、福嶋さんの高校時代の恩師だったというのだ。「担任や教科を受け持ってもらったわけではなく、演劇部の顧問として一年間面倒を見ていただいたのです」。福嶋さんが演劇をやっていたのは知っていたが、こういうカタチで浅田さんとつながっていたとは。手紙と一緒に、福嶋さんが「浅田先生」に触れているエッセイ(日本看護協会出版会『ナーシング・トゥデイ』2003年2月号)が同封されていた。ぼくの本を読んでくれた読者が、新たなつながりを見いだしてくれるのは、とても嬉しい。


6時前に出て、茗荷谷へ。〈寿和苑〉での「BOOKMANの会」へ。今年最後である。事前に来れる日を出してもらって、調整しているはずなのに、開始時間の7時には6人ぐらいしか集まってない(最終的に12人)。みんな忙しいから仕方ないのだけど、発表する人にとってはあまり少なすぎると張り合いが薄いのだ。今日は「食」関係3連発ということで、まずはエンテツさんが、雪印乳業の広報誌のハナシからはじまり、『東京いい店うまい店』に続き、二宮尊徳と「教祖」崇拝に至るハナシをする。次に、書肆アクセスの畠中さんが店で扱っている食関係の地方出版物について話してくれる。こんな本があったのか、と目から鱗が落ちる。今回は東日本編だったから、またの機会に西日本編が聞けるだろう。そして、ぼくが「食べある記」本について、調べたことを話す、メインのハナシにするはずだった本が、見当たらないという体たらくだったけど、このテーマはオモシロイと思っている。発表にあわせて調べものをすると、いろんな情報が集まってくる。坪内祐三さんがすでに1998年の『東京人』で「食べある記」本について書かれていたことも判ったし。


発表終ってから、来年この会をどうするか相談する。で、いちおう決まったこと。(1)隔月(奇数月)ごとの例会を維持する、(2)毎回、例会の担当者を決め、その人が誰が発表するかを決め、日にちを調整する。自分が呼びたいゲストを呼んでもよい、(3)BOOKMANの会で雑誌を出す……かもしれない。最後のはまだぼくの願望でしかないけど。終ってから、いつもの〈さくら水産〉へ。こんなコトしてる場合じゃないと思いつつ、12時前まで楽しく過してしまう。ウチに帰ったら、12時半だった。


【今日の郵便物】
★『ぐるり』2004/12-2005/1 
★『たまや』第2号
間村俊一さんにこの雑誌についてのエッセイを「本コ」に書いてもらったのは、去年の春だった。それから待ちに待った。編集後記にあるように、この号でエッセイを書いている種村季弘さんは9月に亡くなった。タッチの差で手渡せなかったわけだ。
★古書目録 龍生書林、水曜荘文庫