自宅という迷宮

昨夜、赤木洋一『平凡パンチ1964』(平凡社新書)を読了。1960年代を代表する若者雑誌の生々しい回想。数年前に出た『平凡パンチ』の公的な記録よりもよっぽど面白い。『パンチ』はある程度まとめて持っているが、『平凡パンチデラックス』はホトンド見てなかった。これを読んで興味を持つヒトが多いのでは。著者はのちにマガジンハウスの社長になってるんだな。


もうひとつ、昨日のこと。夕刊で、歴史小説家の白石一郎氏の死を知る。72歳。「十時半睡事件帖」シリーズが好きだった。もう一人、モンド系エロ映画監督(適当な云い方ですが)のラス・メイヤーも死んだ。82歳。「映画秘宝」で中原昌也の「ラス・メイヤーの映画はなぜオシャレピープルに受けるのか」という文章を目にしたばかり。「スタジオ・ボイス」とかが、ちゃんと追悼特集やれよな。


久々に神保町の古書展に行くつもりが、時間的に余裕がなさそうなので諦めて、谷中銀座に新しくできた〈満満堂〉という喫茶店へ。かなり広い。和風のインテリアに金髪のマスター。コーヒーは数種類あって美味しいけど、ここもヌルイんだよなあ。いろいろ云い分はあるんだろうが、本を読んだりボーっとしたりするために喫茶店に入る人にとって、ぬるいコーヒーは早く出て行けと云わんばかりの感じを受ける。〈青猫書房〉の目録を読み、店の外から携帯電話で注文。しかし二点とも売り切れ。今日到着の郵便で朝の11時に注文してるのに……。今回は十返肇宛の署名本が多く出ていた。


市ヶ谷の仕事場に行く。原稿に使う本があったハズなのだが、見当たらず。ウチをさんざん探したあとなので、ドッと汗が出てくる。本を見つけるためには山を動かさねばならず、山を動かすと別の本がお隠れになってしまう。まるで迷宮だ。自分で招いた結果とはいえ、どうすりゃイイのか。この本はけっきょくウチの意外な場所から見つかった。


吉祥寺に出て、南口のレストランで著者と打ち合わせ。2時間ほど話したあと、〈読みたや〉と〈ブックステーション〉を回るがナニも買わず。〈ユザワヤ〉地下に最近オープンした〈啓文堂〉も行ったが、たしかに広いけど、特徴のない品揃えだ(地元の人にとってはそれでイイのだろうが)。帰りには中央線が工事だとかで、全部各駅停車になっており、新宿に着くまで時間が掛かる。西日暮里に着いたのが5時。洗濯しながら、ちょっとヨコになる。


8時に日暮里駅で貴島公さんと待ち合わせ。明日の桂牧さんのライブを見に、大阪から来たのだ。今日、明日は谷中のアパートに泊まってもらうことに。谷中銀座を抜けて、〈古書ほうろう〉〈往来堂書店〉を案内するいつものコース。オヨヨはもう閉まっている。根津の〈炭屋宗兵衛〉に入り、貴島さんの仕事のことや、注目しているバンドのことなどを聞く。「書評のメルマガ」で来年から連載してもらうことに決めた。


谷中のアパートに行くと、旬公がいた。横須賀のはずれにある海の家に行ったという。ヨカッタらしい。部屋の準備ができるまで、貴島さんと雑談していたが、押入れに入れてあった『平凡パンチ』の束に目が行く。買ってから開けずに置いてあったが、このナカに『平凡パンチデラックス』がとびとびに6、7冊あったのだ。すっかり忘れていた。『平凡パンチ1964』を読み返しながら、これらをめくってみよう。きっと面白い発見があるハズだ。自宅が迷宮になってなければ、本と本のつながりを意識した、こういう優雅な読書ができるのであるがなあ(詠嘆)。


【今日の郵便物】
★「彷書月刊」 特集は「蔵書のゆくえ」。学習院女子大がウェブ上で「高橋新太郎文庫」(http://www.noracomi.co.jp/takahashi)を公開していることを知った。全国図書館のコレクション案内もいい。リレー連載「私の古文書」角田光代さん。高校三年生のときに、父の死を作文に書いた話。あとになってそのことを嫌悪し、そこから逃れようとしているという。うーん。こないだ、ぼくの1990年代の日記が出てきたけど、その一冊は「祖母の死により中断」とある。そしてその死については一言も書いてない。きっと書こうとする気さえ起こらなかったと思う。「ぼくの書サイ徘徊録」はオンライン古書店〈町屋堂〉(http://www.fiberbit.net/user/machiya-do/)をご紹介。
★古書目録 シンフォニー古本まつり(岡山)、佐藤藝古堂
中村よおさんより 「トオリヌケ・キ」