杉作さんとお散歩

昨日の日記で書き忘れていた。神保町のすずらん通りに行ったら、新刊書店〈すずらん堂〉が跡形もなくなっていた。一年前から通りの反対側で、仮店舗を営業していたのでいずれはと思っていたが。これでまた、すずらん通りに高いビルができてしまうだろう。〈すずらん堂〉はエロ本やアイドル写真集に強い店だったが、それに加えて、サブカル本、おたく関係、趣味性の強いマンガなどを置いていて、モノによっては〈高岡書店〉よりも早く並ぶことがあった。〈青山ブックセンター〉の文化的意義を語る人はゲップが出るほど多くいるが、ぼくは〈すずらん堂〉や本駒込の〈博山房書店〉などの小さい書店の良かったトコロを書き残しておきたいと思う。


朝方、変な夢を見た。ディティールは忘れてしまったが、杉作J太郎ともう一人とで旅行に行く夢だ。散歩してなんか親しげに話したような気もする。『アックス』の杉作特集を読んだせいだろう。杉作氏はモクローくんに激似というハナシもある(もしくはその逆)。そのあとも、断片的に夢を見て、熟睡したという気がせず。


山の手線と中央線を乗り継いで、11時に武蔵小金井へ。改札で岡崎武志さんと会う。こないだのイベントに来てくれたときに岡崎さんが忘れた紙袋を渡す。少し時間があるので、ドトールに入って雑談。岡崎さんは以前この駅を使っていたそうで、〈中央書房〉〈伊東書房〉などの古本屋を教えてくれるが、今日はいずれも休みで残念。


バスに乗って、東京学芸大へ。佐藤信さんに用事があるのだが、該当の建物に行っても、どの部屋にもヒトがいない。ホールで講座をやっているようなので、外の階段に座って待つ。今日は日差しが弱いけど、それでもたちまち暑くなる。12時過ぎに佐藤さんと会って用事を済ませ、再びバスで武蔵小金井へ。なんと時間のかかるコトよ。駅前にはチェーンっぽい店しかナイが、熊本ラーメンを見つけて食べる。まあまあだが、どこが博多ラーメンと違うのかワカラン。中央線で四谷まで。乗り換えて市ヶ谷へ。仕事場に到着したのは2時。


仕事帰りに、〈古書ほうろう〉に寄る。今日の古本の売上は1冊。ううむ。店自体の客が少なかったそうだが。数日中に、本を大幅に入れ替えてみようと決意。買おうと思っている本があるヒトは、あと二日ぐらいが勝負ですよ! 古本以外でよく売れるのは、「モクローくん通信」の創刊号から最新号までのバックナンバー(500円)。オリジナル・マッチ(100円)もまあまあ。ミニコミでよく動いているのは「酒とつまみ」。あと月の輪書林の目録もよく売れている。「sumus」の中公文庫特集と、スムース文庫の『借家と古本』は残り一冊ずつになりました。コレで終わりなので、早いもの勝ちです!(以上、宣伝でした)


久しぶりに買った「BUBKA」を読みつつ、夕飯の準備。今日はホタテとエビのパスタ。そのあと旬公と〈ジョナサン〉へ。ココで原稿を一本書いてしまうツモリだったが、仕事場から送ったメールの添付ファイルが開けず(メールソフトがウィルスファイルと勝手に判断してしまうらしい)、イライラ。「書評のメルマガ」の原稿が集まってきたので、そっちの整理を先にやる。


帰りにコンビニで、カバヤ食玩の「水野晴郎シネマ館」を見つける。貴島公さんの「モノノフォン」(http://homepage1.nifty.com/hebon/fhp/)で知ったのだが、あまりコンビニに行かないので、今日初めて探してみたのだ。洋画がまるまる一本入ったDVDがついているガムで、《キリマンジャロの雪》《アンナ・カレニナ》などがある。今日は《黄金の腕》を買ってみる。315円。帰って開けてみると、ガムは駄菓子屋のフーセンガムよりも小さく、ショボイ。食玩の世界は知らないのだが、もはや菓子は流通の言い訳に過ぎないらしい。


【今日のしおりページ】
山村正夫『推理文壇戦後史 ミステリーブームの軌跡をたどる』双葉社、1973年
昭和21年に『宝石』を創刊した岩谷書店の社長・岩谷満と、編集長の城昌幸(詩人・城左門)、編集者の武田武彦について。
19ページ 「城先生と武田氏の二人は、大井町に住む詩人、岩佐東一郎氏の家で岩谷氏と知り合った。お互いに不要な書籍や雑誌を持ち寄り、落札システムで便宜をはかろうという趣旨の交換会が、昭和二十年の末から二十一年の初頭にかけて、同家で行われていたのである。その交換会の席では、いつも岩谷氏が、目ぼしい本を一人で落札して帰ったらしいが、そこで城先生や武田氏と面識になり、『宝石』発刊のプランがたてられた。」


もう一カ所、24ページ。
(社長の岩谷満は囲碁がプロ級で、岩谷健司のペンネームを持つ詩人だったとして)
「そのせいで岩谷書店からは、『宝石』のほかに『囲碁春秋』と詩誌『ゆうとぴあ』(三年後に『詩学』と改める)を発行していた。また岩谷氏は自作の探偵詩を、『宝石』に毎号のように載せていた。」
とあり、『詩学』と『宝石』の関係がよく判った。余裕があれば、『詩学』を引き継いだ嵯峨信之の聞き書き(『黄金の砂の舞い』)をひもといて、確認しておきたいところだ。