ちょっとぜいたくな朝食を

朝8時半起き。昨夜からの雨はまだちょっと降っているが、傘をさすほどでもないので、自転車で出かける。池之端の〈ASAGAO〉へ。トンブリンさんから教えてもらった、朝7時から食事ができるレストラン。1階はカウンターのみ、2階はカフェスペース。カウンターに座り、ワンプレートのランチ(?)を食べる。フレンチだが、箸で食べる。焼いた鯛、国産鶏肉のソテー、マカロニと玉葱。素材もソースもうまい。食後のコーヒーは根津神社近くの〈みのりカフェ〉の豆と淹れかただそうで、これも美味しかった。これで1296円はリーズナブルだ。午後3時まで営業で、夜は1組のみ予約を受け付けるそうだ。ちょっと知り合いを連れていきたくなる店。次はコースにも挑戦してみたいものだ。

いい気分になって帰るが、雨が強くなってくる。それでも霜降銀座まで行き、1100円の散髪屋でバリカンで3ミリ。帰ってシャワー浴びるとスッキリした。朝からいいモノを食べたので、昼はさすがに食べる気がしない。

佐高信『メディアの怪人 徳間康快』(講談社+α文庫)読了。出版史的にも興味深い箇所が多いが、なによりも徳間書店徳間康快が義に厚く、決断力のあるボスだったことが判る。徳間書店以外にも大映の再建に関わり、日中合作の『敦煌』や日ソ合作の『おろしや国酔夢譚』を実現させたこと。逗子開成学園を立て直し、生徒に慕われたこと、宮崎駿のアニメにカネは出すが口は一切出さなかったことなど。彼のもとには政治家、作家、ジャーナリストなどさまざまな人たちが集まった。その群像も興味深い。徳間が引き受けた『東京タイムズ』で、佐高の連載を担当したのがのちに晶文社に入る中川六平さんだった。あとがきで著者はこう書く。

「徳間さんが現れてニコッとするだけで、パッと座が明るくなる。フランスの哲学者アランは『楽観主義は意志の所産である』と言っているが、他人を愉快にさせながら、自分はとてつもない寂寥を抱えていた。そこがまた魅力だったのである」

本書で引用されている『徳間書店の30年』は私も持っているが(そして、探しても出てこないが)、読ませる出版史だった。

そのあと、宮田昇『出版の境界に生きる 私の歩んだ戦後と出版の七〇年史』(太田出版)を読む。第一部では自身の来歴を詳細に語っているが、早川書房に入社する前の、近代文学社で編集をしていた時の話がとくに面白い。宮田さんはその後、英語教材の南雲堂に入るが、ここで出していた変型のフェニックス・ライブラリーから、早川書房のポケットミステリを思いついたというのは貴重な証言だ。また、早川の後に入るタトル商会より前に著作権仲介をしていたフォルスター事務所は、日比谷の日活国際会館にあったという。この建物はのちに日比谷パークビルと改称、2000年代に取り壊された。跡地には2007年にザ・ペニンシュラ東京が建てられたという。解体前の様子は以下のブログに詳しい(http://www.us-vocal-school.com/weblog/music_life/archives/000670.html)。

夕方、田端図書館へ。雑誌や新聞を流し見する。情報欄で行っておきたい展示をいくつか発見。スマホで自動的に情報が飛び込んでくるようになっても、こちらが興味を持つ情報は紙の雑誌で得られることがいまだに多い。帰りがけに、劇団東京乾電池『長屋紳士録』公演のチラシをもらう。遠目でも蛭子能収の絵だと一発で判る。エビスさんの絵はじつはとてもポップでデザインしやすいと思う。夜は録画を消化しつつ、あれこれ。豚肉、モヤシ、きくらげの卵とじと味噌汁。

野勢奈津子・松岡宏大・矢萩多聞『タラブックス インドのちいさな出版社、まっすぐに本をつくる』(玄光社)届く。日本でも『夜の木』などが翻訳されている、南インドの手づくり出版社の人々についてのノンフィクション。図版も多く入っていて面白そう。