この日に観る『黒い雨』と戦前エロエロ歌謡

朝8時半起き。刺身の残りを漬け丼にして納豆投入。遅れていた『ビッグコミックオリジナル』の原稿書く。まったく縁のなかったテーマを書くことにしたので、持って行き方に苦労したが、結局は自分に引きつけて書くしかないんだよな。なんとか書き終えてちょっと放心。昼はパスタ。夕方まで寝転んで過ごす。

4時半に〈谷根千記憶の蔵〉へ。今村プロダクション主催で、広島の原爆記念日今村昌平監督『黒い雨』(1989)を上映する会。井伏鱒二の原作も映画も有名なので観た気でいたけど、初めてだった。冒頭、原爆投下直後のショッキングな描写があるが、その後の一見静謐な生活のなかで、登場人物が原爆症に苦しむ(身体だけではなく、その心も)様が恐ろしい。モノクロの画面がその重みを引き立てる。重い題材でも今村流の黒いユーモアは健在で、戦争神経症の青年のあとをついてみんなが匍匐前進する場面に笑う。今村と石堂淑朗の脚本、川又昂のカメラ、武満徹の音楽、そして、北村和夫市原悦子小沢昭一三木のり平、大滝修治ら俳優陣がみな素晴らしい。

矢須子役の田中好子は、可憐にして強い心を持つ女性を好演。原爆症の噂が立ったことから、一生独身で過ごす覚悟をする。この矢須子の造型は、ひょっとして『この世界の片隅に』(原作も映画も)に影響を与えていないだろうか。『この世界の片隅に』がヒットしているのは喜ばしいが、戦争や原爆についての描写は抑制されている(それが悪いわけではない)ので、この作品を観た人にはぜひとも『黒い雨』も観てほしい。名画座でも二本立てを組んでほしい。観る前は気が重いかもしれないが、観てよかったと思うはずだ。

記憶の蔵での上映会はいつもアットホームで、入り口で川本さんが梅ジュースを売っていたり、山崎さんがうちわを配ったり、エアコンの操作でいつもひと悶着あったり(笑)と楽しい。知り合いも多く来ていたが、観おわるとあんまり人と話したくなくて、余韻を味わうようにその辺を自転車で走り回ってから、〈古書ほうろう〉へ。

「泊が歌うエロエロ東京娘百景」と題して、『エロ・エロ東京娘百景 ワイド復刻版』(えにし書房)の刊行を記念して、監修した毛利眞人さんの解説つきで、泊が戦前のエロ歌謡をうたうというイベント。『黒い雨』とは真逆の内容だが、あの衝撃をクールダウンさせるのにちょうどよかった。泊の山田参助さんの歌声は、昭和初期のナンセンスな歌詞によく似合う。蓄音機から歌声が流れているような音響もよかった。曲に入る前の毛利さんの解説は、知らないエピソードがたくさん入っている。この人はSPや関連資料の検証を積み上げたうえで語るので、云うことにちゃんと裏付けがあって信頼できる。『エロ・エロ東京娘百景』は誠文堂が出した「十銭文庫」の一冊。古書展でよく見つかるありふれた巻と、めったに出ないレアな巻が混在するシリーズだ。誠文堂の小川菊松のことは私も以前調べたことがあるが、猟銃自殺したことはすっかり忘れていた。しかし、まあ、イベントとしては喋りが長すぎるという気もするけど……。毛利さんの解説を読みたくて、復刻版を買って帰宅。

録画したお笑い番組みながら、ボラの刺身の漬け丼。早々に眠くなって寝るが、3時ごろに目が覚めてしまう。『黒い雨』のことをあれこれ考えてしまう。明日というか、今日、月曜にCSの日本映画専門チャンネルでもこの作品をやるのだが、ここには公開時にカットされたラストシーンが付くというのだ。今日観た作品はあれで完結しているという気がするが、今村昌平は最後まで迷ったのだという。だから、やっぱりこのシーンも観ておこうと思っている。

そうだ、もうひとつ。この映画には原作に出てこない戦争神経症の青年が、車のエンジンの音を聴くと気が狂う場面がある。ふだんは心優しい青年で、原爆症ではないかという噂から結婚に敗れた矢須子は彼といると心が落ち着く。そして最後の場面で、瀕死の状態の矢須子を青年が抱えて病院に向かう車に運び込むのだが、ここではいつのまにか青年のエンジンへの恐怖は消えている。いまどきの映画なら、登場人物の誰かにそこのところを説明させることだろう。映画でも文学でも行間で判らせるということが、いまでは時代遅れになっているのだろうか。