書き落した10日間(めちゃめちゃ長いです)

一箱古本市が直前に近づくと、毎日のように新しい情報をまとめて公表せねばならず、自分自身のことを書くのは後回しになる。もっと早く書きとめておきたかったことを、簡単に書いておく。


14日(水)は神楽坂〈シアターイワト〉で、黒テントの公演『平成派遣版 窓ぎわのセロ弾きのゴーシュ』(作・山元清多、演出・斎藤晴彦)を観る。ぼくは演劇というものをめったに観る機会がなく、毎年一回の水族館劇場を楽しみにしている程度だ。黒テントも、2001年に芝公園の野外プールでやった松本大洋原作の『メザスヒカリノサキニアルモノ若しくはパラダイス』を観たのが唯一の観劇なのだから、平野甲賀さんに「そういう(派手な)のは来るんだよな」とイヤミを云われてもしょうがない。


今回の公演は、場末の駅前のカラオケマシン販売会社で、上司に残業を命じられてひとり会社に残っている窓際サラリーマンのゴーシュのもとに、同僚やら出前持ちやら夜警やら妊婦やら掃除婦やらが訪れ、ドタバタを繰り広げるという構成。ゴーシュを斎藤晴彦が演じ、ほかのキャストは若手ばかり。セットは、左手にゴーシュの座る机があり、その奥にピアノが置かれている。中央に回転する台、その奥の仕切りが部屋の外という、シンプルなもの。


ゴーシュと誰かがやり取りするたびに、ピアニストが弾きはじめ、すぐに歌が始まる。全編、その調子の音楽劇だ。斎藤晴彦の歌はやはり素晴らしく、クラシックから流行歌っぽいの、オペレッタまでと、どんな曲でも反応する。宮沢賢治の原作にも出てくる「インドの虎狩り」の混沌とでたらめさは素敵だった。若手の俳優も斎藤によく食い下がって、替え唄、言葉遊び、タイミングのずれなどで、よく笑わせてくれた。同僚の星くんを軽妙に演じたのは久保恒雄。彼は旧安田邸「音楽と朗読の夕べ」5月7日で、長谷川四郎を朗読することになっている。


ただ、入れ替わり立ち替わりゴーシュを訪れるというシチュエーションの繰り返しに、さほど盛り上がりが感じられず、最後の方はやや単調に感じた。暗くなると眠くなるぼくは、そのあたりでうつらうつらしてしまった(隣に平野さんがいたので、バツが悪かったが)。最後は全員総出で合唱。役立たずのはずだったゴーシュが、歌をほめられるというのは原作通りではあるが、なんとなく『エヴァンゲリオン』を思わせないでもない。上司の女性(滝本直子)のつんけんした演技もよかった。


1時間半という短さが、演劇に慣れない身としてはちょうどよく、終わってから気持ちよく帰った。そして、しばらくして風呂に入っているときなんかに、斎藤晴彦のちょっとしたしぐさなんかを思い出して、笑ってしまう。こういう演劇なら、また観たいと思う。


15日は前に書いたとおり、山崎邦紀監督の新作を見に行く。16日は和光大学へ。ダイヤの乱れで、行きにエライ時間がかかり疲れた。終わってから、〈マンダラ2〉に渋谷毅さんを見に行くつもりだったが、パスして帰る。


17日(土)は昼間に弥生美術館で「谷根千界隈の文学と挿絵」展を観る。この地域に居住した作家や画家の作品を展示する。作品にはこの地域を描いたものもあれば、そうでないものもある。作中に出てくる場所や作家の住んだ場所を地図で示し、キャプションも細かくつけて、展覧会のテーマに沿うよう努力がはらわれている。でもねえ、それだとキャプションばかりに目が行って、肝心の作品が魅力的に感じられないのだ。もっとやり方がなかっただろうか、という気がする。


そのあと、根津のふれあい館へ。ココの会議室で助っ人集会。一箱当日の手順を説明し、配置を決めていく。事業仕分けみたいなもんです(違うか)。資料など準備して臨んだつもりだが、印刷されたものが見つからないというポカがあり、助っ人さんに「イイですよ、なくても分かります」と云っていただく。増刷したチラシをMAPにはさむ作業の後、近くの韓国料理屋で飲み会。ほとんど貸し切り状態で、助っ人さんたちといろいろ話す。実家が神戸だという女性と、元町の食べ物屋の充実ぶりについて話したり。


18日(日)は夕方から千駄木交流館で実行委員の会議。当日の動きをシミュレーションしていく。全員が集まれるのは今日が最後なので、確認しておくべき事項が多く、そのあと備品の仕分けをやったので、閉館時間ぎりぎりになった。その席で嬉しい発表があったので、荷物をほうろうに運んだあと、〈たまりば〉で祝杯。終電前にいちど締めるも、地元勢が残って2時まで居座る。さすがに飲みすぎで、翌日は頭が痛かった。


19日(月)は午後に〈花歩〉で東京新聞の取材。17時半に西日暮里駅でu-senと待ち合わせ、〈ドトール〉へ。彼が発行しているミニコミに、塩山さん関係の原稿を書くことになる。そのあと〈はやしや〉で飲みはじめるが、二人では間が持たない。沈黙が多くなった頃に、NEGIさん、そして武藤良子がやってくる。1時間ほど飲んだ後、〈喜多八〉に移り、最後に日暮里まで歩いて〈馬賊〉でラーメン。また西日暮里まで歩いて戻り、そこで解散。この日のことはムトーが日記で書いているが(http://d.hatena.ne.jp/mr1016/20100419)、短い文章なのに、店に入って座ったらトイレに行っていたu-senが戻ってきたなどと、細かい観察を入れているのには感心する。だから彼女の文章は映像的なんだな。同じ日のu-senの日記(http://d.hatena.ne.jp/u-sen/20100419)の観念的な文章(それはそれで面白いのだが)と比べるとよく判る。


その武藤が本文イラストを書いている木村衣有子『大阪のぞき』(京阪神エルマガジン社)を送っていただいた。流行だけでもレトロだけでもない、大阪の場所を紹介したコラム。木村さん自身による写真がイイ。巻末には遠藤哲夫さんとの対談も収録。


20日(火)は、1時に京橋のフィルムセンター。交差点のところの片倉ビルが解体作業に入っていて、その向かいの銀行が入っていたビルも解体中。さらに近くの土地が更地になっていて、この辺りで大規模な再開発が始まることが一目瞭然。銀座に比べると、気取らずにいい感じの街並みだったのだけど。


フィルムセンターでは、島耕二監督《猫は知っていた》(1958)を観る。前に一度観ているが、途中で眠ってしまったので、今回初めて通しで観る。しかし、印象は変わらず。仁木悦子の原作のカラッと明るい持ち味が生かされておらず、中途半端にミステリアス。そもそも大映に向く素材じゃないよ。東宝がお似合いだったのでは。終わって、八重洲の横丁の中華料理屋でランチ。豚肉細切り炒め、ずいぶん量があるなあ。〈八重洲ブックセンター〉の文庫売場で、次回の「小説検定」の本を探す。


21日(水)は、午前中に神保町に出かけ、資料を探す。午前中の神保町は落ち着いていて、好きだ。〈ダイバー〉のミニ古本市を覗く。遠藤諭さんが「東京おとなブックス」として本を出している。『プレイガイドジャーナル』『ペリカンクラブ』などのミニコミや自著が並んでいたが、だいたい持っている。次は一箱古本市に出店してください、遠藤さん。


いちど西日暮里に帰り、7時に出て新宿三丁目へ。〈ピットイン〉で渋谷毅エッセンシャル・エリントン。あとから『雲遊天下』の五十嵐さん来る。このユニットは、関島岳郎のチュー―バと外山明のドラムのリズム隊が絶妙。ひとつひとつの音が心地よい。そこに、清水秀子さんのボーカルが加わる。エリントンで一番好きな「I‘m Beginning To See The Light」も聴けた。客は20人ほどで、こんなにいい演奏をこれだけの人数で独占するのは悪いみたいだった。渋谷さんとも話したが、眼はだんだんよくなってきたとのこと。5月9日、旧安田邸でのライブへの期待が高まる。


22日(木)は大雨。外に出ると、震えるほどの寒さ。午後、西日暮里で「小説検定」の打ち合わせ。創刊からずっと担当してくれたTさんが単行本に異動することになり、後輩のHさんが新担当になった。Tさんよりさらに後輩の女性だ。次回のネタを出し合ったあと、ブックオフで本を探す。


23日(金)。午前中に書くつもりの原稿が書けず、授業の準備をしていたらギリギリの時間になった。授業では初ドナリ。教室の後ろでずっと話している男二人がいるので、近くまで行って「出てけ」と云う。怒るときは本気で怒らないと、学生には伝わらず、何度も繰り返すことになる。めんどうくさいけど、仕方がない。帰りの千代田線に乗っているうちに、飲みたくなって町屋へ。駅ビル〈ときわ〉は例によって満員で、〈小林〉でモツ煮込み→〈ときわ食堂〉で定食というコース。駅前の古本屋で「小説検定」の本を数冊買って、帰る。夜中に目覚めて、遅れていた原稿を書きはじめ、5時頃に完成。