〈ライオン〉で1時間の静寂を

朝8時起き。仕事のメールを書いてから、神保町へ。〈さぼうる〉でTさんと、神保町ムックの打ち合わせ。そのあと、〈岩波ブックセンター〉の柴田信さんの取材。〈ランチョン〉で食事しながら、話を聞く。「神田・神保町再生プロジェクト」(http://blog.so-net.ne.jp/s_shin/)のコトを聞こうと思ったのだが、柴田さんのほうからもっと大きな、神保町活性化の動きを伝えられる。意外なニュースだった。〈岩波ブックセンター〉では、山野博史『人恋しくて本好きに』(五月書房)を買う。表紙イラストはいしいひさいち関西大学図書館長の著書にいしいひさいちとは、ちょっと面白い組み合わせだが、その理由は中を読むと判る。


半蔵門線で渋谷へ。百軒店の名曲喫茶〈ライオン〉に入る。このところ、この店の前をよく通っていたのだが、入るヒマがなかった。せめて1時間の余裕を持って入りたい店だ。相変わらず、男性の一人客ばかりで、音楽のほかには物音一つ聞こえない。今日はピアノ曲ばかり流していたので、よけい静かに感じられる。携帯をマナーモードにしておいてさえ、着信がはばかられるほどだ。めったに得られない静寂の中で、図書館で借りた、神林広恵『噂の女』(幻冬舎)を読む。『噂の眞相』の編集デスクの手記。岡留編集長がやたらに量産している薄味の本に比べて、こっちのほうが文章もウマイし、オモシロイ。


シネマヴェーラ渋谷〉へ。「妄執、異形の人々 Mondo Cinemaverique」特集もいよいよ大詰め。ぼくが観るのは今日で最後だ。まず、伊藤俊也監督《犬神の悪霊(たたり)》(1977)。九州の山村の祠を壊したために、犬神のたたりが人々を襲う。コレだけだったら、ふつうのホラーとして楽しめるのだが、問題は、たたりを「犬神筋」の一家によるものとしていることだ。狐憑きや犬神憑きは特定の家系に受け継がれるという迷信があり、長年差別の対象になってきた。いや、いまでも差別感情が残っている地域は多い。ぼくの生まれた出雲地方もそうだ。この映画は、「犬神筋」とされている一家を被害者としながら、結局は「犬神筋」とたたりをストレートに結び付けている。これはやっぱりマズイだろう。だからといってこの映画を封印せよ、などと叫ぶつもりはナイのだが、上映のしかたには留意すべきだと思う。もう一本の、谷啓主演・坪島孝監督《奇々怪々 俺は誰だ?》(1969)は、奇抜なプロットが空回りしており、つまらなかった。


ウチに帰り、久しぶりにまともな晩飯(鶏肉、高野豆腐、まいたけの炒め)をつくって食べる。広島の〈アカデミイ書店〉から川和孝『撮影所 映画のできるまで』(現代教養文庫)800円が届く。先日、名古屋の某校の図書館の取材のとき、書庫でこの本を見つけて欲しくなった。タイトル通り、企画から撮影、上映までの映画製作の流れを解説したものだが、大量に入っている写真がじつに味がある。序文は椎名麟三。ビデオで、ティム・バートン監督《シザー・ハンズ》(1990・米)を再見。ティム・バートンの独自の世界のつくり方はやはりスゴイ。不忍通りの〈ジョナサン〉で「秋も一箱古本市」のナカムラ・イシイのコンビと会合。店主の募集、最終日の今夜、50箱が揃ったそうだ。よかったよかった。今週末にはチラシができますので、「ウチで置いてあげる」あるいは「私が配ってあげる」というステキな方は、ナカムラちゃんまでメールされたし(kayokov.n@adagio.ocn.ne.jp)。


そのまま自転車で、上野の〈TSUTAYA〉へ。ビデオを返却し、新刊コーナーを覗いたら、小峰元『 アルキメデスは手を汚さない』(講談社文庫)が、新しいカバーで、新しい解説をつけて復刊されていた。この一年ほど、中学のときに愛読した小峰元の「青春推理」を読み直しており、『路上派遊書日記』の注にも小峰元の項目がある。もうちょっと文庫を早く出してくれたら、注で復刊のコトに触れられたのだが。それにしても、和田誠のあのカバーが変更とは、さすがに耐用年数が過ぎてしまったのだろうか。感慨深い。