図書館めぐりのあと、神輿に追いつけず

8時半起き。自転車で出かける。荒川区役所近くの〈珈琲館〉で、トーストとコーヒー。南千住図書館でちょっと調べもの。いろいろオモシロイことが判ってきた。リクエストの本を受け取り、一階の郷土資料室に寄ると、新着資料の棚に、『南千住コツ通りの一口話』というB5判の冊子が目についた。東京新聞南千住専売所が発行していた新聞折込誌に連載されていたコラムをまとめたもので、著者は〈仙成食堂〉という定食屋の主人・杉山六郎氏。コツ通りの名前の由来から、南千住にあった映画館と遊郭、学校、銭湯、交番などの歴史を書いている。「ふれ太鼓と縁日の夜店」の項では、エンテツさんが追っている「文化フライ」も登場する。以下、その部分を引用する。

「フライ屋」30〜40代の人に聞きましたら、天王さま【南陀楼注・素盞雄神社のこと】の縁日やおとり様の縁日では「文化フライ」と云っていたそうです。戦前のものは私の記憶では、つみれのようなもの(角ばっている)に串をさし、どろっと練ったウドン粉にパン粉をつけて油で揚げたアツアツのものをウスターソースにつけこんで食べる。うまいのなんの、コツ通りのちょうちん屋(大島屋)の先代にお聞きしたらレバーだとおっしゃいましたが、やはりそのうまさは忘れられないと云っていました。昨年の天王さまのお祭の夜店でテキヤのお兄さんにお聞きしたら、今は千住の勝専寺(赤門寺)のおえんまさまのご開帳の時、1月15・16日に出る縁日でその「文化フライ」が売られていると云うことでした。来年には行って試食してみたいと思います。


このコラムを読んだ読者から、文化フライは「汐入銀座」でも売っていた、という証言が寄せられている。その他、いろいろな発見がありそうなので、発行元に同書の頒布を頼んでみることにした。そのあと、根岸図書館、日暮里図書館に寄って帰宅。調べているコトの手がかりがつかめると、帰りの自転車が楽しい。


昼飯に焼きそばを食べつつ、《噂の東京マガジン》を見て、さて、根津神社のお神輿でも見るかなと、旬公と外へ。昨日の混雑を思い出して徒歩で出かけるが、道灌山下まで来たら、すでに神輿は通り過ぎたあとだった。そのまま不忍通り根津神社まで行くが、追いつけず。境内に入り、参拝だけしようかと思ったら、賽銭箱の前に人が並んでいるので諦める。裏通りで町会が出店を出していたから、そこでビール飲もうと思ったが、なぜか見つからず。旬公と別れてウチに帰る。今日はこのあと、もう一度図書館に行くつもりだったが、自転車に乗ろうとしたら雨が降ってきたのでヤメて、ウチで児井英生『伝・日本映画の黄金時代』(文藝春秋)を読む。日活で小林旭などのヒット映画を製作した、独立プロデューサーの自伝。昨日観た《有難や節 あヽ有難や有難や》(1961)もこの人の製作。多少自慢話も混じるが、《西鶴一代女》で溝口健二のワガママに振り回されたハナシなど、面白い絵エピソード多し。


晩飯は昨日のおでんに具を足して、あと、サンマを焼いて食べる。「まぼろしチャンネル」の「帝都逍遙蕩尽日録」を書く。その途中、あるサイト経由で、「彦龍の憲彦さん」(http://blog.livedoor.jp/japaneasy/)というブログを発見し、驚愕する。〈彦龍〉は千駄木にある「まずいラーメン屋」として知られる店で、そこのオヤジはテレビに何度も出ている。一度見たら忘れられない「イイ顔」だ。地元であそこでラーメンを食べたというヒトはめったにおらず、なんとなくアンタッチャブルな雰囲気があった。このブログは、その〈彦龍〉の主人にいろんな質問をし、その答えを掲載するもの。常連客がやっているようだ。どうしてこんな企画を思いついたのかはワカラナイが、投げやりな回答が人柄にハマりすぎ。素晴らしい。今度、一箱古本市に関する質問でもしてみるか。地元だし。