あるニアミス

遅まきながら、MSHIBATAさんがサイン会の模様を撮影して下った写真を一枚アップしました。7月11日の項です。


旬公は朝6時過ぎに出て行った。今度は京都に取材だとか。そのあともう少し眠るが、9時頃には起き、朝風呂に入る。仕事場に行くのは5日ぶり。ちょっと気が重い。郵便物を片付けて、対談のまとめを進める。やっと方針が見えてきた。


今日は7月の観測史上もっとも暑い日で、40度超えた場所もあったとか。昼飯は〈橘〉の生姜焼き定食。ここ3カ月、こればっかり食べてる気が。向かいのampmで金を下ろそうとしたら、今月末に閉店だという。手数料なしに三井住友銀行のカードが使えるのは、手近ではココだけだったのに。最近、銀行の支店が次々に閉店して、コンビニが肩代わりしてるが、そのコンビニもなくなるとあっては、どうすりゃイイのか。まあ、15年ほど前には、都市銀行地方銀行がネットワークされてなくて、奨学金を下ろすのにいちいち電車に乗って別の駅まで行っていたコトを思えば、駅の反対側の銀行まで歩くぐらい、なんでもないのではあるが、でも、一度便利に慣れてしまったら、ねえ。しかたない、ネットバンキングでもやるか。


7時前に出て、ウチに帰る。小川町駅の通路で、〈立石書店〉の岡島一郎くんに会う。この暑さで彼もグロッキー気味に見えた。朝、〈古書ほうろう〉に荷物を持っていったのだが、まだ開いてなかった。それで、もう一度行ったのだが、今度も開いてない。前まで行ってよく見たら定休日だった。大きな袋提げてバカみたい。晩飯をつくって食べる。


ビデオで増村保造監督『黒の報告書』(1963年)を観る。殺人事件の公判という地味な話だが、けっこうオモシロイ。主演は「黒シリーズ」だから田宮二郎かと思ったら宇津井健。からまわりしている熱血漢という役柄だが、本人もそんな風に見えるせいか、面白みに欠ける。田宮二郎だったら、もっとくどい演技してくれたろうが。地道な捜査を行なう刑事役の殿山泰司のほうが目立ってた。


「文化通信」7月19日号に先日の神戸のサイン会が写真入りで載っている。タイトルは「メジャーに育て!! 猛暑の店頭で7人のサイン会」。なぜ「7人」かと云えば、川辺佳展太郎吉野が同じヒトだとは気づいてないからだ。あと、写真には森元さんが写っているのに、川崎ゆきおさんの名前になっている。ようするに、コレ、福岡店長のコメント以外はまったく取材してないのである。写真も参加者から借りたんだろうね。マイナーで悪かったね。それにしても、「南蛇楼綾繁」という誤記にはちょっとムッとした。だって、3年ほど前、私ゃこの「文化通信」でミニコミ事情を連載していたんだから。


【今日の郵便物】
森元暢之さんからハガキ とてもとても丁寧なご文章で、本当に恐縮する。ココまで腰の低い書き手のヒトに会ったのは初めてだ。
東京理科大学編『大問題!』ぺんぎん書房、950円
東大社情研の「出版論」の教え子(っても半年だけど)の小林薫さんが入社してはじめて手がけた本。「生活のなかの理科系」ってカンジで、なかなかよろしいんじゃないですか? ハンディな判型もコジマケンのイラストもいい。
★『Charider』 鳥取の学生がつくる雑誌
編集長の道祖尾さんがバックナンバーを送ってきてくれた。いつも思うのだが、ミニコミについて「こうした方がいい」という意見を述べるのは難しい。レイアウトひとつとっても、うまければいいとかキレイならいいということではない。内容とマッチしていれば、読みやすさは無視の「畸人研究」や、「ロカンボ」みたいな殴り書きでも、ゼンゼンOKなんだし。
それはそれとして、こないだ「トリ・レーベル」のCDが買える店を教えろ、と云ったのを憶えてて、米子市朝日町の「flamin5 works」(http://up-tight.hp.infoseek.co.jp/)というレコードショップの情報を教えてくれた。今度帰ったら行ってみよう。
★「イカの筋肉」242号
高野ひろしさんのミニコミ。先月までは「高金商店」というタイトルだったのに、しれっと改名してるところがオモシロい。このヒトのミニコミ歴も相当長いなあ。
旭堂南湖さんより、「第四回 幻の南湖」の招待券が送られてくる。
チラシは藤本和也さんの手になる。演目は「探偵講談 乱歩一代記」に「講談紙芝居 原始怪獣ガニラ」だって。ゲストは山前譲さんで、乱歩について語るとか。行ってみよう。
日時:8月29日(日)13時開演 
場所:お江戸両国亭
詳しくはこっち↓
http://www003.upp.so-net.ne.jp/nanko/yotei.html


【今日のしおりページ】
安田武『ある時代』日本エディタースクール出版部、1977年
3ページ
「敗戦後しばらく、紙に活字を印刷すれば、何でも売れるという時期があった。十五年にわたるきびしい言論の抑圧から解放された歓喜が、日本の全体を浸していたためだろうか。こうした状況を背景に、文字通り、雨後の筍のように出版社が簇出し、しかも、わずかな間に潰れていった。その一つ――思索社は、旧近衛師団ガタピシとした木造兵舎のなかにあった。斜め向かいの室に――これは、現在まで生き残った角川書店が看板をかかげていた」
これは、昭和23年3月のこと。
昨日読んだ『われ発見せり 書肆ユリイカ伊達得夫』によれば、同じ建物の前田出版社に伊達が勤めたのが、昭和21年9月だった。そこを辞めて書肆ユリイカの設立に向ったのが、22年の暮れ。つまり、伊達と安田はわずか三カ月のあいだで、出会うことなく終ったのだ。同じ出版史の本だと思って読んだ本に、こんなニアミスが出てくるなんて、不思議だねえ。
(もっとも、未見の月の輪書林目録の安田武特集では、とっくにこのニアミスが記されているかもしれない)